源さんが行く173
お世話になっております、シヨウX3です。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
文化元年の記録・第5回、訴状のつづきです。
文化元年(1804)の記録・其の伍
恐れながら願い上げ奉り候こと(2)
一つ
蝦夷奉行様や幕府御役人様と同様に、当南部藩のお役人やその他の方々が蝦夷地へ往復に乗船する船が何艘にもなっております。
大畑から佐井までどの湊に入港するのかは測りがたい状態です。
もちろん何か事が起こりました時は申すまでもなく、蝦夷地へ廻航する御用船の多いこの時節でございますので、それぞれの湊には数艘が風待ちして停泊、人夫もそれぞれの湊に待機致しますから、隣りあう村々で見継*1して助けあっております。
達者なものを選りすぐって中野沢や佐井に待機させております。
しかし、その日数がかさみ、風待ちのほかに何らかの理由で思いがけない着船のあった折には、残る非力の者たちだけでは万全という訳にもまいりません。
お役人様方の引き船や荷物の扱い等に差支えが生じては不行き届きのお叱りを受けること必須と存じます。
そうなりましては申し開きのすべもなく、恐れ入る次第でございます。
何とぞお奉行様交替の折には大畑から佐井までの各駅伝馬の中継点の村の者に、よその土地での待機という役目はなくして、自分の村にいてその日一日限りの御用をうけたまわるというようにして頂きたいのです。
その場合、私どもは隣村との引継ぎが支障のないよう取りはからいます。
もちろん、よその土地の人馬が当地に待機する場合もあります。
しかし、その土地の状況をよく知らなくては土地の者ほどには行き届かないことでございましょう。
待機の人馬は遠路をやって来ては疲れもたまります。
日数や費用については別段変わりありません。
前途の通り、大畑では正月以来、数千の人馬がお務めを果たして参りました。
御支配所*2に毎月提出している「人馬書き上げ帳」に荷添え、添え馬のほか、風雨でお役人が逗留のために木野部や赤川の詰め馬が不要になり戻った場合も記録に残していただきたく存じます。
大畑から易国間に至る道は大変な難所でございます。
この件に関しては、このところ毎年のようにお願いして参りましたが、ご返事を頂いておりません。
毎月の「人馬書き上げ帳」の各村々の状況を見比べ、ご検討頂きたく存じます。
とりわけ、これまでと違い、毎年毎年の蝦夷奉行様のご交替となりますので、この辺りの村々の負担はしのぎがたいものになってまいりました。
代官所が、この辺りの者どもが難儀していることを受け止めていただかないと、この界隈の村々の者がその負担に耐えかね、その命令に従わなくなるやも知れないと懸念致しております。
大切な御用の場面でわきまえのない事態が生じるやもしれないと心配致している次第でございます。
訴状は次回へも続きます
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