源さんが行く57
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政五年(1793年) 源さんは46歳になられました。
宿老の仕事に精を出しております。
寛政五年(1793年)の記録・其の壱
大安寺の禅堂が再建された。
額は江戸の得水の書で、阿吽(あうん)の二王は薬師堂から移された。
山の画像は、明和の頃(1764~72)に玉川重左衛門 から寄進された。
渋民*3から来た菊地治助が、長峯の木の生え際にシメジを発見した。
これによく似たものがあってシメジより細く赤みを帯びるものは、毒キノコである。
軸が細く、裏側が黄色っぽいものは食べられるし、おいしい。
木野部、正津川、下風呂、易国間、大間、尻屋、尻労の七か所の浜に鯨が漂着したのは、一月から三月までのこと。
湊村の浜にも鯨が漂着した。
ジャコウネズミ*5は長崎と鹿児島にいると聞くが、今年、砂子又でジャコウネズミの糞が見つかった。
函館の大森の辺りから将来したものか。
麝香草*6はヨーロッパにあるものだと思っていた。
奥薬研の二階滝の蛭子(えびす)石の辺りで麝香猫*7の糞らしいものが見つかったという。
湊村の浜に常夜灯が設置され、灯りがともされてから既に数年経ち、まだ続いている。
その費用は船ごとに割り当てになるが、そのやり方は今ではみんなに受け入れられている。そこで、ヤグラをもっと高くしようということになり、実際そうなったのだが、町の人々は火事の火元になりはしないかと恐れた。
しかし、その場所については沖の船頭、水夫たちからよく見えるだけでなく、艀(はしけ)や浜辺の船からもよく見えると評判が良い。
へつづく
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