こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

(未来の蓬田村改め)外の浜~ある村のはなし~のこれまで2

 

お世話になっております。シヨウx3です。

 

未来の蓬田村改め外の浜~ある村のはなし~のこれまでをまとめた、その2です。

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話は源平合戦が落ち着いたころから続きます。

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 ある日、長男はある思いを胸に、三男のもとへ旅立っていきます。

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 三男と会った長男は、何かを確認し

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 しかし、誰もが死んだと思っていた長男は三男といっしょに帰ってくる

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 次回、長男の告白から話が続きます。

 

 

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(未来の蓬田村改め)外の浜~ある村のはなし~のこれまで1

  

お世話になっております。シヨウ✕3です。

後三年合戦(1083年)のあたりから始めた、

未来の蓬田村ではシリーズをこれまでのイラストで

再度、外の浜~ある村のはなし~として復習していきたいと思います。

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話は、外ヶ浜にある村のある親子の会話から始まりました。

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父の死に際までも、陸奥国の話を熱く語る、息子でした。

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奥州藤原氏に思いをはせる2代目は、

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とうとう、清衡を真似て、寺をつくることを考え出したり、

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お経の本を買い求めて、十三湊まで行ったあげく

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とうとう数年後、僧侶となり、弟子まで連れて戻ってきたのでした。

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そして念願の寺まで弟子と共に完成させて

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寺を村内に広げて

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幸せな余生を送りました。

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さらには、臨終間際に、孫が寺の後を継ぐという意志表示をしたことにより、

これ以上ない幸せを感じながら、2代目は旅立っていきました。

 

数年後、4代目にあたる長兄は日々、僧侶の修業に励み

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その次男は、父の期待を一身に受けて、そもそもの農家を継ぎ、

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三男は、その体格と力自慢から、朝廷にスカウトされ、

力士として活躍しているのでした。

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そんな三兄弟が、これから奥州藤原氏とリンクしていきます。

 

漫画掲載にあたって

 

お世話になっております。シヨウx3です。

 

さて、いよいよ漫画の方を再開させていただきます。

ちょっと前回から間が空いたので、おもいきって最初からもう一度(ちょこっと編集し直して)始めることにしました。

 

タイトルもやっと決まりまして

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としました。

 

しかし絵が下手くそですね~。(今も下手くそですが。)

もちろん人と比べてじゃなくて、自分自身の話です。

いかに勢いだけで始めたかがアリアリと感じられて、正直なところ最初から描き直そうかなとも思いました。

(それはまた別の機会にしますが…)

 

とりあえずはカテゴリーもこめのことカテゴリーから外の浜~ある村のはなし~カテゴリーに移して、あくまでもフィクションの漫画であることを強調してまいります。

(何度も言いますが、私が作った話であり、本当にあった蓬田村の話ではございません。)

 

ということでしばらく漫画の掲載を中心に進めてまいりますので、当分の間(春ぐらいまでかな)、源さんが行くおおはたまちができるまで~南部のはなし~は休ませていただきます。

みなさま、しばらく私の(下手くそな)漫画にお付き合いくださいませ。

 

源さんが行く159

  

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

資料編、大間の天妃様についてのその2です。

 

享和二年(1802)の記録・資料編(5)

大間の天妃様のこと(2)

源さんは、天妃様は「大間に祀られ、蛇浦にも勧請された」と記録しています。

蛇浦の天妃様はその後どうなったのでしょう。

源さんはまた、長崎の媽祖行列のことも記しています。

中国船が入航、出航する折に媽祖神をたずさえて賑やかにパレードを行い、辻々において棒術のパフォーマンスをおこない長崎の人々を楽しませたと記述しています。

インターネットで調べると、長崎ランタン祭の媽祖行列では今も棒術の演技が人気を集めているそうです。

 

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これまで源さんの記録に時々出てくる阿媽港(あまこう)がどこの国なのかわからずにいた時、松井鉄朗氏がマカオのことだと教えてくれました。

阿媽神廟があることから、室町時代から日本人はこの地を阿媽港と呼んでいたと知りました。天川と表記した時期もあったそうです。

 

阿媽神は源さんも記すように、日本在来の船玉信仰や大坂住吉神社の三神伝説などと結びついて、日本各地で信仰されるようになりました。

江戸時代以前に伝来し製作された媽祖像は、南薩摩地方を中心に三十例以上が確認されているそうで、源さんが「まさか薩摩の野田権現が…」と書いているのはそのことを指しているのかもしれません。

水戸藩主の徳川光圀の援助によって広められてとする説もあります。

江戸時代前期に清から渡来した禅僧・東皐心越(とうこうしんえつ)が伝えた天妃像が水戸市内の寺に祀られ、さらにそれを模した像が水戸のあちらこちらの寺に祀られるようになっていったとするものです。

大間の天妃様も水戸方面からもたらされたものだといわれます。

 

以上、源さんが行く・第十集の記録でした。

次回第十一集は享和二年後半から三年にかけての記録になります。

 

つづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

 

第四集の最初から読みたい方は

源さんが行く57 - こめいがねんど

 

第五集の最初から読みたい方は

源さんが行く72 - こめいがねんど

 

第六集の最初から読みたい方は

源さんが行く88 - こめいがねんど

 

第七集の最初から読みたい方は

源さんが行く99 - こめいがねんど

 

第八集の最初から読みたい方は

源さんが行く111 - こめいがねんど

 

第九集の最初から読みたい方は

源さんが行く129 - こめいがねんど

 

源さんが行く158

  

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

資料編、今回からは大間の天妃様について紹介していきます。

 

享和二年(1802)の記録・資料編(4)

大間の天妃様のこと(1)

大間の天妃様は三百年以上前に勧請(かんじょう)され祀られた本尊です。

全体の高さ二十一㌢とお雛様ほどの小さなものです。

平成十七年度に発行された青森県史叢書「下北の仏像」では、次のように解説されています。

 

 中国の東南海地域で始まり、現在も福建省広東省など大陸沿岸各地や台湾で広く信仰されている媽祖(まそ)、天妃、天后とも呼ばれ特に海運や漁業関係者に篤く信仰されているほか、華僑によって世界各地でも祀られている。

大間稲荷神社の本像(天妃像)は、その形式は清朝時代の中国の女神像に則ったものだが、造像の技法や色彩文様の特徴から江戸時代の日本で造像されたことがわかる。

現在、日本国内で媽祖を祀る社寺は十ヵ所前後だが、もちろん大間がその最北端である。

大間における媽祖信仰は、海難にあった伊藤五右衛門が元禄年間に水戸のものに倣って奉納したことに基づき、「天妃神社録」の詳しい縁起も残されている。

ただし、現存像が元禄年間当初のものかどうかについては即答しがたい。

 坐高十二㎝  走行二十一㎝  色彩彫眼

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 つづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

 

第四集の最初から読みたい方は

源さんが行く57 - こめいがねんど

 

第五集の最初から読みたい方は

源さんが行く72 - こめいがねんど

 

第六集の最初から読みたい方は

源さんが行く88 - こめいがねんど

 

第七集の最初から読みたい方は

源さんが行く99 - こめいがねんど

 

第八集の最初から読みたい方は

源さんが行く111 - こめいがねんど

 

第九集の最初から読みたい方は

源さんが行く129 - こめいがねんど

 

家事手伝い

 

お世話になっております、シヨウx3です

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おおはたまちができるまで~南部のはなし~75

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

南北朝時代の南部氏と北畠顕家のはなし、その8です。

 

 根城南部氏五代の誠忠

南北朝の対立(2)

北条高時と同じように足利尊氏もまた、比叡山天皇がいるにもかまわず、延元元年(1336)八月十五日に光厳上皇の弟・豊仁親王皇位につけ、光明天皇と称させました。

だからその頃の日本には、二人の天皇がいたことになります。

天皇が変わるとたいてい年号も一緒に変わります。

南朝では延元元年八月十五日といいましたが、北朝では再び前の建武を用いて、同じ日を建武三年八月十五日といっていました。

しかし何といっても三種の神器後醍醐天皇が持っているので、尊氏はたいへんそれが気がかりであったようです。

それで尊氏は使いをやって、天皇に講和を申し入れました。

天皇にはまたいろいろな考えがあったのでしょう、簡単にその申し入れを承知しました。(一説ではその時、尊氏が南朝に降伏したともいわれています。)

講和が成立したので尊氏は迎えをやり、天皇は京都に帰りました。

そして建武三年十一月二日には無理にお願いをして、神器引き渡しの式が行われました。

天皇は前からいつかはこういう事もあるだろうと予測をしていたのでしょう、あらかじめ偽の神器を用意していました。

引き渡しをした神器は、その偽物であったといわれています。

尊氏たちはもちろんそれを知らずに、盛大に光明天皇即位式を行いました。

こうして神器さえ渡してもらえば、その後はもう用のない後醍醐天皇です。

こともあろうに天皇を花山院の一室に閉じ込めて厳重な見張りをつけておきました。

天皇は尊氏のために軟禁状態にされてしまったのです。

 

こうして天皇は二か月余り寂しく暮らしていました。

しかしそのうちに密かに北畠親房からの連絡もあり、楠木一族の案内で十二月二十一日の夜、花山院から抜け出して吉野の吉水院に移りました。

そしていよいよ吉野の後醍醐天皇と、京都の光明天皇との二人の天皇時代がはじまることになります。

京都は吉野の北にあたるので、武家方の朝廷を北朝といい、吉野の朝廷は南朝といって、南北朝の対立が、その後五十六年間(光厳院の時からだと六十一年間)も続きました。

【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】

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 つづく 

 

蓬田村の古代 よもぎたむらができるまで01

大畑町の古代 おおはたまちができるまで01

アイヌルーツ よもぎたむらができるまで04

蝦夷の反乱  よもぎたむらができるまで10

奥州藤原氏  よもぎたむらができるまで27

大河兼任の乱  よもぎたむらができるまで46

南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1

 

 

おおはたまちができるまで~南部のはなし~74

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

南北朝時代の南部氏と北畠顕家のはなし、その7です。

 

 根城南部氏五代の誠忠

南北朝の対立(1)

顕家は約五か月ぶりで国府に帰ってきましたが、出発の頃に比べるとその国府は、何という変わりようでしょうか。

主だった役人はみな散り散りになり、二年半前のあの華やかさは、まるで遠い昔の夢のようでした。

津軽ではまた曽我貞光が動き出し、相馬(福島県北部)や常陸(茨木県)の戦も、それぞれ北朝南朝に分かれて、一進一退の戦いを続けていました。

地方の武士たちはただ恩賞を目当てに戦うので、京都の情勢次第で、たちまち敵・味方が入れ替わってしまいます。

顕家が京都から帰った後、尊氏が京都を占領したので、北朝側に味方する者がますます多くなったのでした。

その頃は朝廷内にも持明院(じみょういん)統と大覚寺(だいかくじ)統という二つの派閥があって互いに天皇の位を争っていました。

二つの派閥から交互に天皇を出す約束になっていたのです。

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 地方の武士たちもまたこの二つの派閥に分かれ、持明院統を支持する武家方についたり、大覚寺統を支持する公家方についたりしていました。

 

五月に大覚寺統後醍醐天皇比叡山に逃れた時、実は密かに持明院統である花国上皇と光巌上皇、その弟の豊仁親王(のちの光明天皇)が途中から急に京都に引き返していました。

あの北条高時後醍醐天皇隠岐の島に流した時にも、高時は無理矢理に位を持明院統量仁親王にゆずらせ、光厳天皇と称させました。(もちろん後醍醐天皇はそれを承知しなかったので、三種の神器は渡していませんでした。)

正式に即位はしなくても天皇と呼ばれたので、実はその時からもう事実上の南北朝時代がはじまっていたといってもよいのでしょう。

【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】


 つづく 

 

蓬田村の古代 よもぎたむらができるまで01

大畑町の古代 おおはたまちができるまで01

アイヌルーツ よもぎたむらができるまで04

蝦夷の反乱  よもぎたむらができるまで10

奥州藤原氏  よもぎたむらができるまで27

大河兼任の乱  よもぎたむらができるまで46

南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1