こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

源さんが行く131

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

源さんの記録、寛政十二年3になります。 

寛政十二年(1800)の記録・其の参

八王子千人組頭の原半左衛門が、同心を統率して三厩から北海道へ渡った。

 

八王子の千人同心、子弟ら百人を率い蝦夷地へ屯田に出発

 八王子千人同心の原半左衛門が、弟の新助と配下同心の子弟など百人を率いて蝦夷地へ屯田に出発した。

蝦夷地の警備は津軽・南部など東北の諸藩に任されてきたが、同地の防備を殖産・農耕を兼ねた屯田をもってせよとの論議が起こっていた。

経済的困窮から蝦夷地への活路を求めた千人同心の願いを受け入れ、幕府が彼らを派遣した。

 蝦夷地に入ると、一行は二隊に分かれ、五十人は兄の半左衛門が指揮して釧路・白糠地域に散開、残りの半分は弟の新助が引率して勇払方面に入植した。

のちに三十余人の追加屯田があったが、気候風土に合わず、入植から一年後には病気帰郷が六人、死亡が十九人となり、三年後には入植者は八十五人に減少。

半左衛門は箱館奉行支配調役に転身、残留の配下は地役雇い、屯田は失敗に終わった。

 資料編【日本全史】より

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幕臣の長嶋新右衛門が、三歳のメス馬三十頭を五戸、七戸で買い求め、七曲りの道(木野部峠?)の深い雪を掘り除き、(船上では)ムシロをかぶせ(目隠しして)大間から船で北海道へ搬送した。

 

水車づくりの専門家を様似に送った。

水車は天長六年(829)に始まり、指南車*1天智天皇五年(672)に試作された。

 

桧の苗三千本と実三升、生のシジミ二斗を蝦夷地に運んだ。

 

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へつづく

 

 

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*1:しなんしゃ=古代の車