源さんが行く130
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの記録、寛政十二年2になります。
寛政十二年(1800)の記録・其の弐
■霧多布(きりたっぷ)には幕臣の大嶋栄治郎、村上辰之助、村上治郎右衛門。
厚岸(あっけし)には太田十右衛門、戸田又大夫。
釧路・白糠には菊池宗内と庵原久作。
美龍(広尾)には三浦専蔵、田口久治郎。
幌泉・様似(さまに)・浦河・三石(みついし)には佐藤茂兵衛、中村小市郎、大竹弥一兵衛、栗山政五郎。
静内・新冠(にいかっぷ)・紋別・沙流(さる)・勇払(ゆうふつ)は比企市郎右衛門、高橋治大夫。
榎友(えとも=室蘭)・白老・阿色・幌別は長嶋新左衛門、松田仁三郎。
虻田・有珠(うす)は田辺安蔵。
地図つくりは村上島之丞。
生産計画は木津半之丞が担当した。
村上島之丞(しまのじょう)
ー別名・秦憶丸(はたのあわきまる)
風土年表には両方の名で登場。1760~1808、伊勢の人、幕府役人。
間宮林蔵の師にあたる人物。
地理に詳しく画も巧であった。
天明八年、松平定信に見出され、幕府役人として各地を巡り土木工事にあたり、絵図の作成に当たっていたが、普請役として関東各地を巡っていた時、少年時代の間宮林蔵が彼に会い、下働きになったことが、間宮が地理・測量に興味を持つきっかけとなった。
寛政十年(1798)から文化三年(1806)まで普請役御雇いとして近藤重蔵らと蝦夷地を踏査、植林・農耕を指導し地図を作成し、初期の北海道開拓に尽くした。
著書に「蝦夷島奇観」、「蝦夷見聞記」、「蝦夷地名考」などがあり、アイヌの習俗を忠実に紹介している。
地図としては、「蝦夷地地図」、「東蝦夷地屏風」、「蝦夷地図・諸島図」などがある。
資料編【インターネット資料】より
へつづく
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