源さんが行く126
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
最上徳内のはなし3
そして東蝦夷地が幕府の直轄地となった寛政十一年(1799)一月、四十五歳の最上徳内が大畑にやってきます。
七回目の蝦夷地渡りとその任務の準備のためです。
かいがいしく動き回る徳内を目の当たりにしたのでしょう。
源さんはそんな徳内の姿を風土年表に記録しています。
総計九十一組、四百三十人のうち、羽太荘右衛門、大河内善兵衛、松山惣右衛門、木原半兵衛、田辺安蔵、村田長左衛門の六組は江戸の会所に、
残り八十五組のうち最上徳内、小林卯十郎、和田長太夫、岡田第五郎、田口久治郎の五組は北海道への渡海の場所を別にし、八十組が津軽から北海道に渡り、東蝦夷地のアイヌ教化に取り組む。
徳内たち五組だけが大畑に入り、蝦夷地五か所の建屋(番屋兼宿所)用の木材調達*1、造船、出稼ぎ労働者募集などを行っています。
この時の最上徳内の任務は、蝦夷地開発道路掛(がかり)でした。
現在の北海道・様似から幌泉までの山道を日高山脈を切り開いて新道をつくることでした。
徳内は三月に大畑にやって来て、任務遂行に必要な造船、人夫・職人の手配、食料・漢方薬の調達などを行いました。
そして四月には佐井経由で松前へ渡り、五月からこの道路工事に取りかかるのですが、二十日ほどで辞表を出す結果になります。
へつづく
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*1:現地ですぐに組み立てられるよう切り込みを行う