源さんが行く72
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
前回、第四集の最後に次回は 寛政八年の記録から始めます。と書きましたが、
正しくは寛政七年後半の記録から始まります。(スミマセン)
なので、源さん48歳・宿老のまま記録を続けます。
寛政七年(1795年)の記録・其の壱
下風呂の立石の渚に、砂に埋もれたり現れ出たりして、サンスクリット語*1が書かれたように見える簡石*2があると聞いた。
最近の高波で大量の砂が沖に運ばれ、磯の石が現れたと聞き、もしやあの簡石もあるのではないかと思ったけれども、つてがないので見に行けなかった。
ところで、津軽飴を売りに来る商人がこんな事を話した。
八甲田のてっぺんに大きな石の碑があるという噂を聞き、ある物好きが実際に八甲田に登ってみた。
たとえそれが噂だとしても、また、たとえ魑魅(ちみ)魍魎*3に害されようとも、昔から伝えられていることの真意を確かめずにはいられない。
木々の枝葉やトゲに道をふさがれる季節は避けて、雪の季節、僕従*4や木こり五人と登ったが、頂上近くはあまりに急峻(きゅうしゅん)なため、あちこち徘徊して、結局、下山せざるをえなかったらしい。
夏泊半島の椿山に高さ六尺(1.8㍍)、周囲三尺(0.9㍍)のとがった石があり、上の平らな部分に五行*5の詩文が彫られ、いつ頃に彫られたものか、せめて年号だけでも読み取ろうとしたが、文字が読めず地団太踏んだ。
青森の滝ノ沢の山中の川岸の崖にも、丸い石があり、三行の文字が書かれている。
少なくとも家印*6の四、五字は読み取れる。
文章全体では二十一文字もあろうか。
しかし、実際には無い文字ばかりだったと、この津軽飴売りは風流な話をしゃれっ気たっぷりに語った。
へつづく
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