ノムさん
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どうも、しょうさんです。
生まれつきインドア派の私も、少年時代は、一応野球少年でした。
小学校時代は、レギュラーになったことはありませんが、野球部でした。
小学二年の時に王さんが756号の世界記録のホームランを打って、
記念に東映まんがまつりみたいな映画を父親と弟で見に行った記憶があります。
その時上映したのは巨人の星2だったような気がします。
小学三年生のときにヤクルト・スワローズが初優勝して、ヤクルトの野球帽を買ってもらいました。
それからずっとヤクルトはBクラスをひた走っていましたが、
小学校の卒業アルバムの修学旅行のスナップ写真で私がかぶっている帽子は、ヤクルトの野球帽です。
中学高校時代は、興味が音楽やゲームに移ったので、
それほど夢中になるほどプロ野球を気にして生活していませんでしたが、
それでも野球ゲームではいつもヤクルトを使ってプレイしていました。
高校の時に、村上春樹氏の「ノルウェイの森」を読んで、村上氏の小説やエッセイを片っ端から読みました。
私が読んだエッセイの中で、村上氏がヤクルトファンであることが書かれていました。
私の中で、ヤクルトファン熱が再燃しました。
その頃のヤクルトは関根監督で、長嶋一茂選手が入団した頃でした。
世間は長嶋茂雄ジュニアの一茂ばかり注目していましたが、
私は当時、広沢選手とクリーンナップを打っていた池山選手のファンになりました。
(ベースボールマガジン社のベースボール・アルバム「池山隆寛」は3冊持ってます。)
東京での学生時代は、毎週のように神宮のバッティングセンターに行き、
たまには友達とヤクルトの野球観戦に行きました。
上野の野球グランドで、友達と野球の試合をしてフェンス越えのホームランを打ったのは今も記憶に残っています。
そしてヤクルトスワローズに野村克也氏(ノムさん)が監督としてやってきました。
最初のノムさんの印象は、監督をやる前に解説者としてよくTVで野村スコープなるものをTVの画面上で配球の説明をする、めんどくさいオッサンというイメージでした。
しかしヤクルトは徐々に強くなっていき、ノムさん就任三年目で、とうとう優勝しました。ヤクルト黄金時代の到来です。
それからのノムさんの経歴は、もうさんざんTVで特集が組まれて、みなさんの方が詳しいと思うので、省略します。
私は、ノムさんが書かれた「野村ノート」等の本も数冊持ってますし、
楽天の監督を辞めさせられた後の講演会に、ひとりで見に行ったこともあります。
もちろん社会人になってからは、野球とは縁のない生活を送っていますが、
それでもノムさんのボヤキや著書は、いつも気にしていました。
そんな、私にとってなぜか気になるノムさんが先日亡くなられました。
亡くなってからNHK特番でノムさんのドキュメンタリー「ひとりで生きる」というのを見ました。
私はその番組を見て、泣きました。
私がノムさんに惹かれていたのは、その人柄が好きだったんだと、目にうっすらと涙が込み上げてきたときに気づきました。
ノムさんの野球哲学や人生哲学が、教え子やその他いろんな人たちに確実に受け継がれていることをうれしく思います。
ノムさんバンザイ!