源さんが行く133
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの記録、寛政十二年5になります。
寛政十二年(1800)の記録・其の伍
■運賃は江戸より霧多布までは三十五両、厚岸、釧路までは三十両、浦川、三石までは二十四両。
箱館までは十二両、戻り荷も同じ。
箱館より十勝や油駒へは十八両。戻り荷、運賃なし。
白糠、釧路、厚岸は二十五両、クナシリ、霧多布三十両。
幕府御用船団が蝦夷地に廻航している。
寛政三年(1791)東蝦夷地航路を最初の試みを行ったのは長川仲右衛門の政徳丸である。
現在は、幕府御用船の鳴鶴丸、第一丸、凌風丸、済通丸、飛龍丸、翔鳳丸、神風丸、九豊丸、天福丸、景福丸、天祐丸、万全丸、万春丸、千春丸、吉祥丸、常通丸、弁通丸が、浦賀と蝦夷地の間を航海している。
正津川から石を運んで大畑川南岸を埋め立て、孫次郎間を港(かわぐち)として整備する計画があるらしい。
幕府御用扱いの新谷元左衛門が金を都合するため敷地建家二ヶ所、土蔵三戸、土地一ヶ所、田畑四石二升七合の引き当て(抵当)証文をつくり、三月これに村役人の我々検断、宿老も添い印(保証人)を押した。
同じく菊地与左衛門も敷地建家一ヶ所、土蔵二戸、板蔵一棟、港の板蔵一ヶ所、屋敷と共に田畑三石三斗一升五合の引き当て証文を四月に代官所に持参した。これには大畑出役(田名部代官所)の添い印のみで、我々村役の印は必要でなかった。
高橋源蔵と阿部治郎右衛門が様似で酒造りを始めるに当たり前金拝入で酒造りの道具を抵当に証文をつくり、四月両人と共に我々検断、宿老の添い印を押すことになった。
去年、五大力船を造船したときの作業小屋を湊の浜から中島に移し、クナシリ行きの船を建造することになった。
その他にも、風待ち停泊役所の材木の切り込み、幌泉行きの翁通丸を建造した。
その後さらに幕府御用の御蔵二棟の切り込み、御用人が佐井から乗り込む関船*1をも建造して、すっかり幕府御用の細工場と化している。
へつづく
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*1:せきぶね=軍船、御座船、早船に使用