源さんが行く73
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政七年後半の記録のつづきになります。
今回は前回の下風呂の簡石の資料から始めたいと思います。
寛政七年(1795年)の記録・その弐
資料編【下北文化誌】より
ー『風間浦村誌』に…
〈下風呂から易国間の旧街道にて焼山の上の路(みち)のかたわらに梵字を刻んだ大石があるという。
越膳老人はかつて一、二度、梵字石を拝んだことがあるというが、畑山村長はこの梵字石を尋ねて、ついに発見しえなかった。
下風呂の海岸に札石といって、何か書きつけたようにみえる石が沈んでおり大潮の日には見ることができたと菅江真澄の「牧の冬枯」紀行に載せられている〉と…。
今でも見ることができるのでしょうか?
見てみたいですね。
記録に戻ります。
歌舞伎女形の坂田弟吉が来た。
仙台のめくら瞽女(ごぜ)が琴の演奏をおこない、八橋流の「砧(きぬた)の曲」や「滝落とし」を弾いた。
この年に春日明神に石垣を築いたが、文化年間には崩れてしまった。
浄土宗の葬式行列は、大声で念仏を唱えながら進む。
麦茶を飲むことが流行している。私はアケビや五加木(ウコギ)、ほだ木や柳の芽なども煎じて飲んでみた。ハッカ煙草は前に試した。話の種に、今度は菱(ひし)の実煙草を試してみたい。
以上、寛政七年後半の記録でした。
(さすがに後半戦なだけあって短いですね。)
しかし次回、寛政八年の記録から、かなり長丁場になります。
みなさん、おつきあいのほど、よろしくお願いします。
へつづく
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