こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く137

 

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

源さんの記録、寛政十二年9になります。 

寛政十二年(1800)の記録・其の九

角違(すみちがい、地名)で大火が発生。

義倉の稗一石五斗を貸し与えた。

 

塗工(ぬりし)の清八が大畑へ。

  

一月十四日午後四時頃、稼取(かせどりと称して木頭(きがしら)、紙衣(かみこ)、鋤鍬(すきくわ)を持つ男女の木偶(でく=人形)を盆に載せ、「祝いたまえ」と八、九歳の子供たちが町内を回っていたものだが、この年からしきたりが絶えた。

 

せどり小正月の夜、扮装した若者たちが鶏の鳴き声などをして各戸を訪れて物をもらう民間習俗。福島県ではカッカドリ、山形県ではカセイドリ、岩手県ではカセギドリなどという。【シャープ電子辞書】

 

船歌*1は正月の二日、そして十一日*2と町内を回るが、おそらく江戸の船歌から生まれたものであろう。

氷は水からできて水よりも冷たい。

この辺りの船歌は江戸の船歌より気合の入ったものだ。

盆踊り歌は酒田辺りから伝わったものであろう。

この辺りには八戸方面から出稼ぎでやって来た人たちが、しょんがえ節*3を持ち込み、三つの節回しで何でもかんでも唄い込んでしまう。

たとえば、「ビッキが手振りして堰(せき)はねたと」とか。

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源さんが行く138 - こめいがねんど

 へつづく

 

 

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*1:水夫が艪や櫂を押しながら唄う歌

*2:船霊の祝いの日

*3:江戸時代よりさまざまの歌詞と旋律で歌われた流行歌。1772~1782頃には踊り歌として広まった。