源さんが行く89
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政九年(後半)の記録2です。
寛政九年(1797)後半の記録・其の弐
秋田の角館本明寺から人が来て正教寺の橘流庭園づくりを行った。
享保の頃(1716~36)、大川善兵衛の家が揺れ、ミシミシ何かが倒れる音がした。
倒れたのは、谷地稲荷の松の木だった。
ところがなんと十日ほどたって大風が吹いた日、倒れかかっていた松の木が元のように起き上がった。
この松をもう一度植え直したが、根づかなかった。
神亀四年(727)五月二十日、南苑でも二本の木が風で倒れたと聞く。
■幕府大目付の朝夷名(あさいな)治郎左衛門が津軽から北海道に渡った。
隠居した前松前藩主・大炊介(おおいのすけ)の病気見舞と容態監視が目的らしい。
★幕府は、前藩主の病気を理由にした隠居問題について疑いを持っていた。
■盛岡で洪水が発生した。
湊の沖の漁で水虎(かっぱ)がかかった。
しかし、見慣れぬ異様なその姿に驚き、そのまま放してやったそうだ。
江戸料理と称し、大根の刻み方が伝授された。
まるで草や石や蚕のように次々と形が作られた。
大坂から来た老婆が生田流筝曲の演奏をした。
へつづく
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