源さんが行く168
お世話になっております、シヨウX3です。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんの記録、文化元年に入っていきます。(村林源助/57歳)
サブタイトルにあるようにこの年、源さんは宿老を辞めます。
その話は後々紹介しますが、まずはいろいろな記録から。
文化元年(1804)の記録・其の壱
箱館奉行の羽太安芸守正養(まさやす)公が四月、江戸からおいでになり、戸川筑前守安論(やすのぶ)公は五月に江戸に戻られた。
いずれも菊池太右衛門の邸で休息し大畑川を渡る時にはフナハシ*1を利用された。
一貫三百匁(もんめ、5.7㌔)から一貫七百匁(6.3㌔)の砲(たま)を打ちこめる大筒八挺(ちょう)が船で大坂から届いた。
正津川に落雷があり、杉の木が真っ二つに裂けて砕けた。
禅宗の湊の清兵衛の家へ浄土宗の仁太郎が養子に入ったのは、六年も前の寛政十二年(1798)のことである。
それが今年になって訴えが提出され、すでに数か月。
寛政の初めの頃(1789~)、心光寺の住職と檀家の衆との間に何があったのか。
これといった理由もなくただ寺に対する信仰が薄いと檀家の証明である寺請印を出さなかったらしい。それで訴え出たのだという。
心光寺の檀家のだれかれとなく寺請印を出されなかった中の一人らしい。
そういう者たちが役所に呼び出されたため、
「もしや邪宗(キリスト教)調べではないのか」とみんなが騒ぎ始めたため、大事になるのを嫌って寺請状はすぐに発行された。
ところで、寺請状は明和の頃(1764~72)までは毎年更新が行われていた。
その後は宗門人別帳*4に宗派を記入して、毎年チェックしていた。
ここ十年は寺請印は必要なくなった。
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