こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く172

  

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お世話になっております、シヨウX3です。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

文化元年の記録、第4回目です。

 

文化元年(1804)の記録・其の四

恐れながら願い上げ奉り候こと 

寛政十一年(1799)二月、蝦夷地の御用が発生して以来、幕府のお役人が大勢おいでになり、また当南部藩のお役人が三月下旬より六月末まで大畑に滞在致しました。

その後八月から九月まで公私のお役人が大畑に詰め、連日、人馬御用を命じております。そのため村方の出費は莫大で難儀しているとしばしば申し上げて参りましたがお聞き届けがありませんでした。

やもう得ずやり繰り致して、支払いを済ませて参りました。

物屋どもに協力してもらい、お世話致して参りました。

その頃もこれという措置はなく二、三年様子を見て参りました。

何らかの補助をすべきという配慮があるかどうかお伺いしたいものです。

もちろん永久に続く御用の仰せではありませんので、なるべく出費を少なくと努めて参りましたが、人馬の消耗は大変なものです。

昨年からは一年中の御通行となり、これまでと同様であれば村々は対応しかねる状態になっております

村人たちがこの村から離散するようになっては御用にも差し障りが生ずると懸念致して、次の三点についてお伺い申し上げる次第でございます

 

一つ 

お役人様が通られる道筋の伝馬駅の村々は大畑に限らず、お通りの前後は昼夜を問わぬ忙しさです。

正月から五月まで数千の人馬が、難渋しながらも骨身を惜しまず農業も顧みない状態で辛抱致し御用を勤めて参りました。

その日一日だけの御用で村へ帰れるうちは申し上げにくく、粗食に耐えて過ごしておりました。

そうこうしているうちに、蝦夷奉行様交替の折には大畑から中野沢まで出向き前々日から待機して、そこから佐井まで運搬し、お奉行様が江戸へ帰られる時には佐井まで出向いて待機し、そこから横浜まで運搬しなければなりません。

春早々から疲労困憊しきった人馬ではもうどうにもならず、嘆かわしい状態でございます。

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次回へ続く 

 

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