源さんが行く177
お世話になっております、シヨウX3です。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
文化元年、源さんの記録はまだまだ続きます。
文化元年(1804)の記録・其の七
イシナギ*1という大魚の腹子(はらご)。
三十センチもあろうか、というものが木野部で見つかった。
翌年はその倍のものを拾ったらしい。
腹龍*2は芥子粒ほど微小なものなので、これらが皆育ったら蒼い海を埋め尽くすだろう。
この魚、佐井でよく獲れるが、その肝臓には毒があるとか。
舌休という旅の講談話に聞き入った。
語られたのは三国志~中国・江蘇省の淮陰*3公と呼ばれた韓信*4は、一時の屈辱に耐え、後に天下統一に貢献し楚王となったが淮陰侯に降格された。
また諸葛孔明の作戦の思うままとなった「死せる孔明、生ける仲達を走らす」*5という故事。
一人の人間の悔いや畏れが世界を揺り動かす力になるということなのか。
我が国では平将門の十握(とつか)の剣のエピソード、そして藤原秀郷の三上山ムカデ退治の話。
西園寺実衡(さねひら)と源頼朝を評価するしないは吉彦秀武や上総広常(かずさひろつね)に関わり、また和気清麿、円心、子胥(ししょ)、范蠡(はんれい)、それぞれの忠義の示し方に品格があると論じた。
武田信玄が戦で用いたとされる諏訪法性兜、織田信長が軍旗に用いた「南無妙法蓮華経」の旗も大坂の野田・福島の戦いで苦戦、本能寺の変に至ったとつなげた。
仲達は〇巾の恥ずかしめに星を避けるべきかとその進退を問うた。
上杉謙信が鶴岡八幡宮で成田長康を敲(たた)き、織田信長が明智光秀を軽んじ、兼松又四郎が伊達政宗を扇で打った事件についても語った。
高倉の宮、源融公、藤原実方、茶坊主の類の落馬事件もそれぞれ意味があると論じた。
治承四年(1180)に源頼政が平氏打倒を掲げて旗揚げしたのは、勝敗には関わりなく、平氏の悪行が度を超えて許しがたく、源氏一族の眠りを醒まさせようとしたものだった。
そして、歴史に名を残したのである。
この夜の講談は言葉の花を思いっきり咲かせて、夜遅くようやく終わった。
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