源さんが行く158
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
資料編、今回からは大間の天妃様について紹介していきます。
享和二年(1802)の記録・資料編(4)
大間の天妃様のこと(1)
大間の天妃様は三百年以上前に勧請(かんじょう)され祀られた本尊です。
全体の高さ二十一㌢とお雛様ほどの小さなものです。
平成十七年度に発行された青森県史叢書「下北の仏像」では、次のように解説されています。
中国の東南海地域で始まり、現在も福建省、広東省など大陸沿岸各地や台湾で広く信仰されている媽祖(まそ)、天妃、天后とも呼ばれ特に海運や漁業関係者に篤く信仰されているほか、華僑によって世界各地でも祀られている。
大間稲荷神社の本像(天妃像)は、その形式は清朝時代の中国の女神像に則ったものだが、造像の技法や色彩文様の特徴から江戸時代の日本で造像されたことがわかる。
現在、日本国内で媽祖を祀る社寺は十ヵ所前後だが、もちろん大間がその最北端である。
大間における媽祖信仰は、海難にあった伊藤五右衛門が元禄年間に水戸のものに倣って奉納したことに基づき、「天妃神社録」の詳しい縁起も残されている。
ただし、現存像が元禄年間当初のものかどうかについては即答しがたい。
坐高十二㎝ 走行二十一㎝ 色彩彫眼
つづく
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