源さんが行く178
お世話になっております、シヨウX3です。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
文化元年、源さんの記録その8です。
文化元年(1804)の記録・其の八
エトロフにおいて幕府御用船飛龍丸の錨の綱が切れかかり、錨の綱をつけ替えて下した時のことである。
端をどこにも繋がずに投げ入れてしまったため、そのまま海の底に消えてしまった。
底は間近に見えてはいたのだが、錨の落ちた場所だけは違っていた。
もしかしたらそこだけ千尋*1の窪みになっていたのかもしれない。
きっと魚がたくさん住み着いているところかもしれない。
さて、エトロフは五月初旬だというのに、土を掘るとその下は凍った大地である。
雪も降る。
木々の茂る土地なので、長雨の季節でも川水が溢れることはない。
夏は霧が立ちこめ、風も強く、海面はいつも波立っているが、三月まで川には鮭が上る。
遮穂亜の湖水には干満がある。
遮那(しゃな=地名)の礼文尻山や蘂泥(しべとろ=地名)の奥には、浅間山のような火山も温泉もある。
厚佐登(あつさのぼり=地名)や鶴粒登等の高い山があるが、賓寝別の滝は遠くから見ると那智の滝のようだ。
ところで紀州薗村の堀川八右衛門所有の船に友右衛門が乗り込んで、宝暦六年(1756)二月七日浦賀を出帆し、五月十七日この島の茂鎧へ漂着した。
七十貫目の錨三挺を捨てて、徐々に厚岸まで至って、小さな祠をひとつ発見した。
伊勢神宮のお礼もあって、大畑の飛騨屋「武川久兵衛」と書かれた棟札を見て、ここは日本なのだと初めて知ったという。
いずことも知れぬ遠い異国の地を漂流した者たちの心細さがそれによって救われたのは無理もない話である。
その頃はまだ、エトロフも、クナシリも、異境であった。
キリタップより先は、和船もまだ航行していない土地だったのである。
味噌、醬油、酢、酒等の作り方と、醸造に失敗したものを元に戻す方法を伝授するため、大坂からやって来た者がいた。
最初から読み直したい方は
第二集の最初から読みたい方は
第三集の最初から読みたい方は
第四集の最初から読みたい方は
第五集の最初から読みたい方は
第六集の最初から読みたい方は
第七集の最初から読みたい方は
第八集の最初から読みたい方は
第九集の最初から読みたい方は
第十集の最初から読みたい方は
第十一集最初から読みたい方は