おおはたまちができるまで~南部のはなし~96
お世話になっております、シヨウx3です。
津軽の大軍を数少ない兵で立ち向かった政長の続きです。
根城南部氏五代の誠忠(Ⅱ)
根城攻防戦(2)
敵将、曽我師助をはじめ四人の武将を討ち取ったのは、西沢右近光広(阿倍野で戦死した西沢民部行広の子)で、四人の名もはっきり記録されています。
(ただ、敵将師行を討ち取ったというのは、根城側からはそう見えたのですが、実は貞光が傷を負っただけだともいわれています。)
しかし結局根城軍が敵を領外に追い返したのは事実であったようです。
この興国二年から三年にかけての政長の活躍ぶりは、後村上天皇の上聞にも達し、天皇からの賞として栗田口国安の太刀一振(たちひとふり)と甲冑一領を賜りました。
この太刀と甲冑は今も遠野家に国宝として所蔵されているということです。
その他に鎮守府将軍顕信からは、興国六年(1345)二月十八日に、元尊氏の領地であった甘美郡(宮城県加美郡)を賜っています。
しかしこの甘美郡は、三迫よりさらに南にあるので、この拝領はただ名目上の賞であったかもしてません。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1