こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

よもぎたむらができるまで10

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

時代は645年の大化改新のあとからになります。

蝦夷(えみし・えぞ)

蝦夷とはいろいろな説がありますが、「野蛮人」という意味を込めた差別語が一般的です。

読み方も蝦夷と書いてエミシと読んだり、エゾと読んだりしますが、

古代・中世では政府に従わない、中央に住んでいる日本人に対し、辺境に住んでいる日本人をエミシと呼び

中世以後(鎌倉時代後期)は北海道のことを蝦夷が島、蝦夷地と文献資料上に書かれていることからエゾと呼ぶようです。

 

日本書紀」には659年、遣唐使と唐の高宗(皇帝)の問答が載っていて、

大和朝廷に毎年入朝してくる熟蝦夷(にきえみし。おとなしいエミシ)が最も近くにいて、麁蝦夷(あらえみし。荒々しいエミシ)がそれよりも遠く、最遠方に都加留(つがる)があると説明しています。

都加留津軽が固有名をあげられるほどの有力集団として存在していたようです。

 

飛鳥時代ころには、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に住んでいたようです。

658年、大和政権が支配領地を拡大するために、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が水軍180叟を率いて、秋田・津軽方面の蝦夷を討ち、さらに軍を進めたと伝えられています。

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阿倍比羅夫の襲撃


 

相変わらず、和人は一方的です。

蝦夷はいきなり和人に攻められて、配下につけられます。

そうやって日本は日本として大きくなっていくんでしょうね。

 

よもぎたむらができるまで11

へつづく