こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

NEBUTA

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どうも、しょうさんです。

 

今年もありがたいことに、青森市ねぶた祭りは好天に恵まれたこともあり大盛況だったようです。

 

ねぶたってなんですか?

 

青森ねぶた祭のホームページには、

青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。
奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったのでしょう。そこに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であり、七夕祭は7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流して無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。
「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民俗語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられています。

と、あります。(青森ねぶた祭HPより引用)

 

まあ、そうなのか…。となりますが、

数年前まで、その年の最高の作品に与えられる田村麿賞というものがありました。

(以下も青森ねぶた祭HPからの引用です。)

「田村麿賞」から「ねぶた大賞」へ
昭和三十七年制定の、「田村麿賞」の名称が平成七年度より改称されました。坂上田村麿が蝦夷征伐のため現在の青森県城に遠征した史実やその際にねぶたを用いたことが立証できないこと、田村麿と蝦夷征伐を結びつけてのネーミングは、民族の人権上からふさわしくないこと、国の重要無形民俗文化財指定にあたっても「ねむり流し」の習俗と明記されていること。また、市民意識の変革 など、各界各層の意見、世論をふまえた結果、平成七年度より、青森ねぶたの最高賞は「ねぶた大賞」となりました。

 

何が言いたいのかというと、前々回のよもぎたむらができるまで10 に使用するイラストの材料として阿倍比羅夫のイメージ画をネットで検索したとき、真っ先にねぶたの阿倍比羅夫の作品が出てきたのが気になりました。

 

正直なところ、

青森市民でありながら、

そんなにねぶたに興味がないのも問題なんですが、

いろいろこうして歴史を調べていくと、

そういった矛盾にぶつかります。

 

「え?青森市民は蝦夷なのに、なんで和人側にたってお祭りをして、しかも最高の賞が、敵である田村麻呂なの?」

みたいな。

 

もちろん、ねぶた祭を最初に始めたのはもっと後の和人化してしまったころ*1でしょうから、仕方ないと言えば仕方ないです。

たぶん平成7年に「ねぶた大賞」に変更したのも、私のようなクレームがあったからだと思います。

 

なにを祭りにクレームつけてんだ、めんどくせぇ。

と言われそうなのでこの辺で止めときます。

結局、楽しければいいですから。

 

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テニス部のねぶた

ちなみに、どうでもいいことですが、中学の時、ソフトテニス部に所属してまして、

打ち方がまるでその容姿だということで、ねぶたというあだ名でした。

 

*1:享保年間(1716年~1735年)の頃に、油川町付近で弘前ねぷた祭を真似て灯籠を持ち歩き踊った記録があります