よもぎたむらができるまで01
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
いよいよよもぎたむらができるまでをはじめていきたいと思います。
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蓬田村は、桃太郎トマトが有名ですが、「村の駅 よもっと」に行けば、季節の野菜や山菜、むつ湾でとれたアンコウ、ホタテ、イワシやカレイなど、新鮮な魚がたくさん並んでいます。山の幸、海の幸が豊富なところです。
瀬辺地部落
そんな蓬田村をさかのぼること、時は約2万年以上前。
現在平野なところが実は氷期には川が深く削り込んで、むつ湾内が陸だったと考えられているそうです。(歩いて脇野沢まで行けたってことでしょうか。)
そんな地形の中で、村内では最も古くから人々が住んでいたのではないかと考えられているのが瀬辺地(せへじ)部落です。
瀬辺地は村内の北部に位置し、ここからは細石刃石器が拾われていて、また隣接する外ヶ浜町には旧石器時代の大平山元2・3遺跡があることから、たぶん人が住んでいたのは間違いないと思われます。
その後、約1万5千年前になりますと、こんどは温暖化がはじまります。
さらに約7千年前になりますと「縄文海進」とよばれる海面上昇が起こり、現在平野であるところの一部も海になったと考えられています。
蓬田村の縄文時代
小川平川と蓬田川に挟まれた台地が玉松台です。
玉松台遺跡では縄文時代前期から晩期にかけての遺跡が出土しています。
そのうち、約7千年前の前期初頭の土器と一緒に、土器破片を加工して作られたと思われる漁網用の錘(おもり)が出土して、縄文海進期の最盛期のころ、人々がむつ湾内で漁をしていたことがわかりました。台地のすぐ近くまで海があった可能性があります。
玉松台遺跡の北側、小川平川と瀬辺地川に挟まれた舌状台地に位置する山田(2)遺跡では約5千5百年前の縄文時代前期後葉から後期後葉にかけての多くの遺跡と遺物がみつかっています。
中期の集落は竪穴式住居跡、貯蔵穴のフラスコ状土杭、墓、捨て場などがあって、遺構は台地の平たんな場所に沿って直線的に並んで作られており、食糧保存のための貯蔵穴が288基見つかったそうで、ず~っとこの場所に暮らしてたと考えられています。
近接する山田(4)遺跡からは中期前半の水場遺構が見つかって、周辺からトチノキの種子*1が出土しており、当時、トチノキの加工を行っていたと考えられています。海退期に谷が埋まって、トチノキが生育する場所が増えて、それを利用していた可能性があるそうです。
約4千2百年前頃に地球規模でやや寒冷な気候となり、人の生活にも影響があったと考えられていますが、ここ山田(2)・(4)遺跡の集落は継続しており、大きな影響がなかったようです。
以上がよもぎたむらの超古代時代をまとめたものです。
約2万年前から4千2百年前までですから、約1万5千年間の記録となるわけです。
その間には、温暖化があり、寒冷化がありで、温暖化だけでこんなに騒いでるいまの人類には想像できない過酷な状況だったのだろうと思われます。
次回はそんな超古代時代のよもぎたむらの最古の集落といわれる瀬辺地部落をもうちょっと詳しく、村史を基に紹介していきます。
よもぎたむらができるまで02へつづく