よもぎたむらができるまで46
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
話は、源頼朝が平泉を手に入れた二か月後からはじめます。
大河兼任の乱1
1189年12月
奥州合戦に決着がつき、さあこれから本格的に東北地方の改革に乗り出そうとしている矢先に、
「源義経、源義仲、藤原秀衡の子息らが、結束して、鎌倉を攻めようとしている。」
という噂が、奥州から頼朝の耳に届きます。
「なんだとぉ~!」と苛立った頼朝は
12月24日 工藤行光(ゆきみつ)、由利維平(ゆりこれひら)、宮六国平(みやろくくにひら)らを奥州に派遣します。
ほどなく、泰衡に仕えていた大河兼任(おおかわかねとう)らが蜂起します。
兼任は八郎潟付近(現・秋田県五城目町)を本拠としていましたが、
義仲の嫡男・朝日冠者(あさひかじゃ)となって出羽国山北郡にあらわれたりしていました。
そして7千騎余の軍勢を率いて鎌倉を目指して出発します。
大河兼任の乱の始まりです。
兼任軍は河北から秋田城を経て多賀国府(陸奥国府)へと向かいます。
しかし志加(しか)の渡(八郎潟)を渡ろうとしたとき、氷が割れて5千人余りが溺死してしまいます。
そこで兼任軍は進路を北に向け、
小鹿島(おがしま)大社付近で由利維平と合戦。
由利を討ち取ります。
さらに津軽にいたり合戦して多くの御家人等を殺したと鎌倉に報告が入ります。
【参考引用文献/青森県史】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10