おおはたまちができるまで01
1957年 東通村尻屋の石灰岩採石地で、ナウマン象の臼歯などの化石を採集したことが報告されました。
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
よもぎたむらができるまでを3回にわたって古代から進めてみて、
やはり大畑町の歴史も最初からはじめなくてはいけないだろうと思いました。
蓬田村に歴史があるように、大畑町にも歴史があります。
そして、この離れたふたつの地域にも、つながる部分があると思います。
そんな思いがけないつながりを発見していけたらいいなぁと思います。
さっそくおおはたまちができるまでを始めたいと思います。
時代は、ナウマン象が発見された12万5千年前から11万年前にさかのぼります。
ナウマン象の化石
下北半島北東端の東通村尻屋から尻労付近で、第四紀更新世に生息していたナウマン象の化石が発見されたのは、前述のように、1957年(昭和32年)のことでした。
このとき発見されたのはナウマン象のほかに、トラ・ヒグマ・ヤベオオツノジカ・エゾシカ・ハタネズミ・タヌキ・キツネなどの陸上動物のほかに、アシカ・トド・アザラシ・オットセイなど海に生息する動物の化石も発見されたそうです。
その後1988年に津軽海峡を中心とする地域の自然史化学的総合研究調査が進められた結果、この地域の動物種には陸生と海生種の要素が混在し、日本では極めて特異な化石群集で、第四紀更新世の時代の本州と北海道の地質、古生物学の関連性を考えるうえで極めて重要なそうです。
また、2004年には浜奥内漁港沖で、地まきホタテの底引き漁をしていた時に、網の中からナウマン象の臼歯が発見されました。
これら2例の発見により、むつ湾内が12万年前から最終氷期の2万年前までは陸地であったことが考えられ、そこに生息していた動物たちの化石であることがわかります。
旧石器時代の遺跡
尻屋崎に近い物見台(1)遺跡からは1万年前と推定されるナイフ形石器や尖頭器、掻器(そうき)が発見されていて、
特にナイフ形石器は長野県野尻湖畔の杉久保遺跡で発見されたそれと類似していることから、もし同類であるとすれば1万5千100年からプラスマイナス300年と測定されることになり、もし同年代のものとなれば県内最古の遺跡になるそうです。
また、杉久保遺跡と同類のナイフ形石器であれば、尻屋崎でナウマン象と人間が共存していたとも考えられるそうです。
ロマンチックですね。
まずは下北半島の超古代からはじめてみました。
次回、おおはたまちができるまで02へとつづきます。
(参考引用文献/「しもきた」北のパイオニア)
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