おおはたまちができるまで06
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
おおはたまちができるまでをつづけます。(第6回)
下北の弥生時代
弥生時代と言えば稲作農業が中心といわれますが、東北地方の特に東北北部は稲作と鉄器を伴った弥生式土器文化が存在するということは、昭和30年ころまで考えられなかったようです。
今からおよそ2,000年前、冷涼気候で、ヤマセ被害が常にある地域での稲作農耕が行われていたことが予想できなかったからだそうです。
しかし青森県内で弘前市砂沢遺跡、田舎館村垂柳遺跡から水田跡が発見されて、津軽平野には広く水田が耕作されていたと推測されています。そしてその技術も高度なものだったことが出土遺物からわかりました。
一方の下北半島では、脇野沢村瀬野遺跡、川内町宿野部遺跡からモミ圧痕の付着した土器が発見されています。(ただ、下北半島では水田跡は発見されていません。)
大畑町二枚橋遺跡、大間貝塚
※弥生式土器が出土しています。
いや~昭和30年ころまで水田が出土するまでは弥生時代の東北北部では稲作耕作が行われていなかったと伝えられていたことにびっくりですけども、
それじゃあ日本中が弥生文化のころ東北北部はまだ縄文文化だったと学校なんかでは教えられていたということなんでしょうか?
発掘という物的証拠がなければ、仮設すら立てることはできないということですよね。当たり前と言えば当たり前ですけれども、いかに発掘調査が大事なことかがわかりました。
次回
へつづく
(参考引用文献/「しもきた」北のパイオニア)
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