おおはたまちができるまで07
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
おおはたまちができるまでの第7回です。
アイヌ文化の色濃い擦文土器(さつもんどき)
むつ市近川遺跡で発見された遺跡は縄文時代後期末のもので、多数の北海道系の土器と多数の黒曜石の石器でした。
北海道産黒曜石で作られて石器は全体の七割以上もあったそうです。
また縄文時代に後続する続縄文式土器や平安時代の擦文土器なども多数見られるそうです。
擦文土器は北海道を中心に分布していて、南限は秋田県北部の米代川流域とされています。
下北では土師器(はじき)・須恵器(すえき)を主体とする遺跡は他と比べて少なく、擦文土器が多いようです。
大間町割石遺跡、東通稲崎遺跡、東通将木館遺跡、むつ市第一田名部小学校校庭遺跡、川内町上野平遺跡など。
発掘された擦文土器は9~12世紀のものが多く、北海道に分布していた続縄文土器が7~8世紀ごろ、土器文化の北上に影響を受けて成立したものと考えられています。
やがて擦文土器文化は平安時代末から鎌倉時代にかけて終わりをつげて中世へと移行していきます。
下北では、奈良時代の遺跡が未確認です。
平安時代の遺跡は、むつ市最花南遺跡、東通村アイヌ野遺跡など数えるほどしかありません。下北のほかの地域は大規模調査が遅れていて明らかになっていないんだそうです。
下北半島の土地の名称はアイヌ語系地名が多く、また大間貝塚、大平貝塚からアイヌの漁撈文化と深い関係のあるものも多数出土しています。
下北半島にはアイヌの文化に直結される集団があったと考えられています。
とここまでで一応、下北の古代の紹介は終わりとなります。
よもぎたむらができるまで03 の古代時代も最後はアイヌとの関係で終わっています。
それだけ青森とアイヌの関係は深いものであることがわかります。
青森県内の土地の名称がアイヌ語系地名が多いというのも気になります。
そこで、次回からはカテゴリーをこめのこと(蓬田村)に移しまして、アイヌのことから進めていきたいとおもいます。
(参考引用文献/「しもきた」北のパイオニア)
へつづく