おおはたまちができるまで~南部のはなし~89
お世話になっております、シヨウx3です。
根城南部氏の五代目を継いだ政長の活躍を続けます。
根城南部氏五代の誠忠(Ⅱ)
根城南部氏の五代・政長(3)
岩手の有力者・和賀氏や稗貫氏は、早くも時勢の動きを見たのでしょう。
足利氏に味方し、津軽の曽我氏もまた前から足利方として働いています。
しかし幸い政長は、十三の安東氏一族を味方に引き入れることに成功しました。
師行戦死の翌年、延元四年(1339、北朝年号では暦応二年)三月から五月にかけて、その安東氏と協力して大光寺城の曽我氏を攻めています。
この戦では政長のほかに長男・信政、越後五郎、成田小次郎頼時(鹿角の国代)、滝瀬彦次郎、倉光孫三郎、安保小五郎らも加わったので、一時は大光寺城の外館を占領するほどの勢いでした。
しかしその知らせを受けて曽我氏の本領相模から、曽我師助の代官らが駆けつけてきて、後から攻撃を始めたので、政長らはやむなく後退せざるを得ませんでした。
曽我貞光はこの戦いで、官軍方についた安東氏がよほど憎かったのでしょう。
続けて六月には、安東四郎がこもる外ヶ浜(青森市付近)の尻八館(今の後潟付近)を攻撃しています。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1