おおはたまちができるまで~南部のはなし~84
お世話になっております、シヨウx3です。
南部のはなし84、顕家最後の時を迎えます。
根城南部氏五代の誠忠(Ⅱ)
顕家・師行の戦死2
それからわずか一週間後に、いよいよ顕家最後の戦いが行われました。
大阪府の下村清治郎氏はその最後の模様について、次のように書いています。
延元三年五月二十二日、決死の興奮に躍る官軍が、堺浦に陣をとる高師直一万八千に向かって突撃を敢行したのである。
太刀をふり、薙刀をしごき、鬨の声を上げて突進した。
無二無三に猛撃、乱刃、血の雨を降らせて斬りまくった。
だが斬れども突けども敵は大軍、新手を入れかえ入れかえて立ち向かってくる。
味方はこの奮闘に三人傷つき、五人討たれて今は残り少なくなった。
この数度の合戦に南部師行はすでに傷を負うたが、少しも屈せず𠮟咤憤激、血刀を打ち振り打ち振り駆け回った。
と見て駆け寄った賊五六人、師行を囲んで躍りかかった。
大将危うしと見て西沢行広とその郎党二人が駆けつけたちまち賊を斬り倒した。
主従四人ほっと息をつくところへ、伝令が馬を飛ばせて来た。
「顕家卿には流れ矢におあたりなされて…」
「ご最後か」
「はい。」
これが顕家戦死の知らせである。
あまりにもあっけないほど分からない最後の模様であるが、それは本陣近くにいた者が全滅したため、真相が伝わらないのであろう。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1