こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

おおはたまちができるまで~南部のはなし~73

 

f:id:komeikanendo:20201106093548j:plain


どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

南北朝時代の南部氏と北畠顕家のはなし、その6です。

 

 根城南部氏五代の誠忠

帰路についた北畠顕家(3)

小高城が落ちた延元元年五月二十五日は、ちょうど「湊川の戦い」で楠木正成が、東上してきた足利軍に敗れ自害をした日です。

そして二十七日には後醍醐天皇はまた比叡山に逃れ、二十九日には足利軍は京都を占領しました。

六月には天皇方の千種忠顕名和長年も京都を攻めましたが、敗れて戦死をしました。

こうして南朝重臣が次々に倒れ、北朝の勢いはますます盛んになります。

だが天皇はあくまでも望みを捨てません。

また顕家も決して力を落とすようなことはありませんでした。

 

小高城を破った顕家は、激戦と旅の疲れで弱ってはいましたが、ようやく五月の末に多賀の国府に着きました。

「三翁昔語」には、

「御帰府のこと、信政君も御供をし、つつがなく下着なさる也」

と書かれています。

糠部軍を率いた信政は、中央軍と共に何回となく激戦を重ねて、戦死者や負傷者も出たのでしょうが、とにかく無事に多賀に着きました。

またこのとき多賀を守っていた師行もお祝いのため、数か月国府に逗留したといわれています。

おそらく顕家に留守中の報告なども詳しくしたのでしょう。

【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】

f:id:komeikanendo:20201106160910j:plain



 つづく 

 

蓬田村の古代 よもぎたむらができるまで01

大畑町の古代 おおはたまちができるまで01

アイヌルーツ よもぎたむらができるまで04

蝦夷の反乱  よもぎたむらができるまで10

奥州藤原氏  よもぎたむらができるまで27

大河兼任の乱  よもぎたむらができるまで46

南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1