こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

おおはたまちができるまで~南部のはなし~65

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

南北朝時代のみちのく13です。

 

 みちのくの新政13

尊氏の謀反

前から足利尊氏は再び武家政治を復興し、幕府を築くことをねらっていました。

だから内心、いつかこういう機会が来るのを待っていたと思われます。

北条時行が鎌倉を占領したということを聞いて、早速尊氏は天皇に鎌倉を取り返すために、総追捕史(そうついぶし)及び征夷大将軍に任ぜられることを願い出ます。

しかし天皇は、せっかく政権を回復したばかりだったので尊氏の願いを許すはずはありません。

かえって八月一日、前に直義(ただよし)とともに鎌倉にいた幼少の成良親王征夷大将軍に任じました。

これに怒った尊氏は、天皇の許しも得ずに、勝手に翌二日、兵を率いて鎌倉に向かいました。

途中三河で弟・直義と会い、今度は次々に時行軍を破って、八月十九日にはついに鎌倉を奪い返しました。

天皇は尊氏が鎌倉に居を構え、再び武家政治を始めるのではないかと恐れ、従二位の位を授けて、直ちに京都に帰るように命じましたが、尊氏兄弟は帰ろうとはしませんでした。

そればかりか尊氏は鎌倉に永住の計画を立て、立派な屋敷を構えたり、勝手に部下に恩賞を与えたりしました。

奥州には陸奥国司北畠顕家がいるにもかまわず、一族の斯波家永(しば・いえなが)を奥州官僚(奥州の支配職)とし、また同じ一族・尾張三郎陸奥守として派遣しました。

さらに十月になると、自分で勝手に征夷大将軍と称し将軍職の仕事を始めたので、尊氏は朝廷に相反し、再び武家政治を始めたことが明らかになりました。

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糠部五戸の代官職が変わったのもこの頃でした。

五戸は代々相模(神奈川県)の三浦半島ほかの領主・三浦の介(すけ)の領地でしたが、その頃五戸の代官職は三浦の介時継でした。

これまでは長年北条氏に属していたので、八月十九日鎌倉が尊氏に攻められたときは、時行と共に戦いましたが、敗れたため、ついに時継は足利方に捕えられて、京の六条河原で打ち首にされています。

しかしその子・高継は、早くも時勢の動きを察して、足利方に寝返ります

そのため、一度没収された父・時継の領地は、そのまま高継に引き継がれました。

この頃は親子兄弟でも敵味方に分かれて戦ったり、寝返りをしたりすることは珍しくありませんでした。

 【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】


 つづく 

 

蓬田村の古代 よもぎたむらができるまで01

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南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1

 

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