おおはたまちができるまで~南部のはなし~67
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
南北朝時代のみちのく15です。
みちのくの新政15
南北朝の所属に苦労した十一代・信長02
その頃の信長にとって何より幸いしたことは、分家の師行が北畠顕家の国代として糠部に赴任してきたことです。
分家とはいっても師行は宗家の出身なので、血縁から言うと、信長の父・義行と師行は従兄弟同士に当たります。
だから師行は信長のため顕家に南部氏が存続できるように懇願したのでしょう。
信長もまたさっそく馬鷹を贈って服従の意を明らかにしました。
その結果、今後朝廷方になることを条件に討伐は許してもらったのでしょう。
それに信長の兄弟・為重(義重)・仲行・茂行・信行も、これまで朝廷方として大いに活躍してきたので、信長の宮方転向にはよい材料になったに違いありません。
ようやく徴罪を逃れた信長は、その後しばらくの間は南朝方として働いたようです。
ただ、その間信長がどこを居住地としていたかは、歴史書に残っていません。
しかし信長の子・十二代政行や、十三代守行は明らかに三戸を根拠地としていたようなので、信長も、あるいは師行から三戸の管理を任されていたのかもしれません。
師行は顕家から、三戸と八戸を領地として与えられたようなので、南部氏ゆかりの地三戸の管理を、信長に任せたのではないでしょうか。
信長は年齢でいうと三十歳で武家方から朝廷方に変わり、さらに四十九歳で再び武家方に降伏したことになります。
その後は北朝に仕えて長生きをしたようですが、何度も戦乱に巻き込まれ、変転の激しかった南北朝の争乱時代に一生をすごしたといってもよいのでしょう。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1
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