おおはたまちができるまで~南部のはなし~106
お世話になっております、しょう3です。
謎多き南部信政の話3回目です。
根城南部五代の誠忠(Ⅲ)
根城南部氏六代・信政(3)
信政が父に先だって死んだというのは事実のようなので、第五代政長のあと第六代を継ぐのは信政ではなく、孫の信光でなければなりません。
しかし根城南部氏の系図では信政が第六代を継いでいます。
その相続関係については、当時何か特別の事情があったのではないでしょうか。
歴史書としては必ずしもすべて信頼はされていないようですが、「三翁昔語」には、
御隠居政長君 御卒去 御牌名
という記事があります。
たった一行の記録ですが、この記事から想像をすると、政長が亡くなる頃にはすでにご隠居とよばれていたに違いありません。
隠居という言葉が使われたのは室町時代の頃からということです。
隠居というのは、一家の戸主が官職(公の役職)を辞退して、相続人にその地位を譲ることです。
信光や政光への譲状の中にも、政長は自分の役職名を「前(さきの)遠江守源政長」と書いています。
「前」というのはかつて遠江守であった政長ということです。
だからこの譲状を書いたころはすでに政長は遠江守という官職を辞退して、根城南部氏の六代目を信政に譲っていたのかもしれません。
【参考引用文献/物語 南部の歴史・中世編】
つづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10
南部のはなし おおはたまちができるまで~南部のはなし~1