こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

源さんが行く125

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

蝦夷地探検家・最上徳内のはなしの第二話です。

 

最上徳内のはなし2

 明けて天明六年(1786)正月二十四日、徳内は一人松前を出発します。

再びアイヌのイトコイ以下を従え、蝦夷舟三艘で根室を出発したのは三月十日。

徳内はクナシリからエトロフに渡り、エトロフで念願の三人の赤人(ロシア人)と面会します。時は五月五日でした。

その夜、日本・蝦夷・ロシアの三国人による大宴会が開かれたといいます。

ロシア人の名はイジュヨ、サスノコイ、二ケタ。

徳内は物産のこと、世界のことをイジュヨに尋ねています。

そして徳内はこの三人を伴ってクナシリ島へUターンします。そこには徳内を追いかけて山口、青島の二人の上司のほか松前の役人も来ていました。

ロシア人三人を山口鉄五郎、青島俊蔵に預け、徳内はとんぼ返りしてウルップに向かいます。

もたもたしていると、また探検を断念しなければならなくなるからです。

すでに六月下旬。

なんとかウルップ島にたどり着くも、すでに北上には不適切な季節となり、食料も尽きかけていました。

そこでウルップ島を一周し、帰路につきます。

クナシリ島で三人のロシア人と面談し、彼らに本国に帰ることを約束させ、涙の別れを行いました。

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 徳内が、上司ら一行と松前に帰還したのは八月二十一日。

ただの棹取りにすぎなかった徳内は、この探検で一躍時の人となります。

一方で松前藩やその御用商人などからは見てはならないものを見てしまった危険人物とみなされることになります。

 

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へつづく

 

 

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