よもぎたむらができるまで29
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
清衡の中尊寺建立の真の意図を進めます。
奥州藤原氏・其の参
中尊寺を建立するまでの間に、清衡の思いは変化していきます。
清衡ほど肉親同士の骨肉の争いを経験した支配者はそういません。
本来ならば殺されていたはずの自分が生き延び、母親は一族を滅ぼした仇の正室になり、異父弟とも戦わなくてはなりませんでした。
明らかな敵と正面切って戦うという単純な構図ではなく、身内の中で騒乱を繰り返してきました。
しかも、領地の外に出ての戦いではなく、自分たち一族が支配する土地の中でばかり戦いました。
そうしたことから、これ以上は無駄な犠牲者を出してはいけないと切実に思ったのだと思います。
東北をうかがう源氏の野望への恐れも、清衡には大きかったと思います。
いつまた源氏が、その牙を剥くか分からないという恐怖。
対抗するには、自分たちも相応の軍事力を持たなければいけない。
一方には、東北を異民族の国として、常に疑いの目で見ている朝廷がいる。
絶えず監視の目が光っているわけですから、そのなかなかで軍事力を蓄えていくのは非常に危険なことです。
苦悶のなかで、清衡は寺の建立がひとつの隠れ蓑になると気づいたに違いありません。
寺を建てるには、仏像を拵えなければなりません。
金色堂を建てるには、螺鈿*1細工のため材料を輸入しなければなりません。
だから京から仏師を招いたり、大陸との貿易を行う必要が出てきます。
金色堂に使われた螺鈿や納められた経典は、大陸から直接取り寄せたものです。
おそらく十三湊*2から入ってきたものと考えられています。
最近の遺跡の発掘でも、十三湊には藤原清衡の時代に大きな館があったことが証明されています。
十三湊が奥州藤原氏の貿易拠点ともいうべき巨大な港だったのは間違いありません。
へつづく
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