こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

よもぎたむらができるまで30

 

どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

奥州藤原初代・清衡の話を進めます。

 

奥州藤原氏・其の四

 源義家と共に、弟・家衡を出羽金沢の柵で討ち滅ぼし、四十年近くが過ぎた天智二年(1125年)九月、ようやく中尊寺が完成します。

 

 清衡が衣川の関を現世浄土にしようと決め、準備を始めたのはその二十年以上も前でした。

衣川の関を挟んで、蝦夷(えみし)と朝廷、奥六郡と多賀城国府、安倍と源氏が睨み合ってきました。

蝦夷は衣川の関より南へ進出するのを禁じられ、源氏は関を越えようとして挫折を繰り返しました。

無数の人々の血が、衣川の関には染み込んでいるのです。

 

 その衣川を堂塔で満たし、怨念を浄化して、平泉を守護する聖地へと清衡は変えようとして、一代で大事業を成し遂げたのです。

 

 清衡は、「自分たちの未来を守るための寺だったら潰される。

あくまでも中尊寺、そして後に二代・基衡(もとひら)が建立した毛越寺(もうつうじ)は、天皇の万世の繁栄を願うための寺だと思わせなくてはならない。」

と考えていました。

 

 だからこそ、清衡の招きに応じて、天皇の代理の貴族たちが平泉にたくさん来ました。

天皇の御代が栄えることを願って寺を建てますと言われれば、朝廷としては認めるしかありません。

 

 この名目によって、有り余る砂金を使い、大陸との貿易で膨大な量の陶器、経典などを輸入しました。

あっという間に中尊寺は日本で最大の経典を所有する寺になりました。

それを読みたさに、今度は国中の僧侶たちが平泉に来たがりました。

 

 珍しい経典があれば誰しも勉強したいので、奈良や京の僧がこぞって平泉にやってきました。

この時代の僧たちは最高の知識人であり、平泉に日本の頭脳が集結することになります。

 

 技術と知識を集め、さらに馬産地でもある平泉は、都を凌ぐ力を持つ場所となりました。

 

  (参考引用文献/高橋克彦・東北・蝦夷の魂)


 

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未来の蓬田村では8

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へつづく

 

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