よもぎたむらができるまで25
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
後三年合戦に入ります。
後三年合戦・エピソード1
永保三年(1083年)当時の清原氏の当主は真衡(さねひら)でした。
彼には実子がなく、海道平氏の成衡(なりひら)を養子にしていました。
さらにその成衡と、源頼義と常陸平氏で多気権守・平宗基(むねとも)の娘との間に生まれた娘を結婚させようとしていました。
その婚礼の際、あろうことか当主・真衡は祝福に駆け付けた一族の長老・吉彦秀武(きみこのひでたけ)を無視し、囲碁に興じていました。
この扱いに怒った秀武が出羽に戻ると、真衡が吉彦秀武を責めようとして後三年合戦が始まります。
その際、吉彦秀武は清衡、家衡にも挙兵を呼びかけます。
これにより、真衡は出羽の吉彦秀武軍、陸奥の清衡・家衡連合軍の両方と戦うことになります。
ちょうどその頃、陸奥守を拝命して、源義家が陸奥国に入ってきました。
真衡は三日間、義家を歓待して、その後、秀武追討に向かいます。
すると清衡らが真衡留守宅を襲いますが、義家が真衡側に立ち、清衡らは大敗します。
しかし、出陣中の真衡が病気のため急死してしまい、いったん後三年合戦は終結します。
(参考引用文献/古代史講義【戦乱篇】佐藤信編)
へつづく
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