よもぎたむらができるまで26
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
後三年合戦の続きです。
後三年合戦・エピソード2
真衡没後、今度は家衡と清衡のどちらが清原の当主となるかの争いになります。
まず家衡が先手を打ち、清衡は家族を殺されてしまいます。
その清衡の要請で源義家は清衡側に立ち、戦いは大規模化します。
しかし家衡のいる沼柵*1の戦いでは清衡・義家連合軍は敗北してしまいます。
その後、家衡は金沢柵*2に拠点を移し、ここを戦場に戦われることになります。
ここでもまた、清衡・義家連合軍は苦戦を強いられます。
しかしここで、義家の弟・源義光が援軍に駆け付け、勝利を収めることに成功します。
義光は官職をなげうって兄・義家の救援に向かったヒーローのように思われがちですが、
実はこの戦いは清原氏の当主争いであるとともに、源氏にとっては源氏による東北への勢力拡大、東北の富を狙った戦いという性格も持っているといわれています。
さて、その源義家は朝廷に追討の官符*3を申請しますが、官符は発令されず、戦い終了後に恩賞が得られないだけでなく、私戦と認定されてしまいます。
さらに陸奥守も解任されてしまうという最悪の結果。
かたや清衡は安倍氏、清原氏の遺領と北方への影響力を手に入れて、東北の覇者となっていきます。
名前を実の父・藤原経清の姓の藤原に戻し、奥州藤原氏の初代・藤原清衡の誕生となるわけです。
(参考引用文献/古代史講義【戦乱篇】佐藤信編)
以上が後三年合戦の記録になります。
どうでしょう?
ここまでくるともうエミシがどうしたこうしたと関係なくなっちゃってますね。
ただの骨肉の争いです。
ちなみに後三年合戦が終わったのが寛治元年(1087年)11月ですから、
アテルイが活躍した789年から数えても300年近く経っていて、
混血混血が続いているわけですから、和人かエミシかなんてもうどうでもいいくらいの時代になってきているんだと思われます。
まぁ、どうしても和人と関わりたくないという人たちは
たぶん北海道に渡ったんでしょうね。
さて次回からは奥州藤原氏へと進めていきたいと思います。
だんだん蓬田村と大畑町が近づいてきております。
へつづく
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