よもぎたむらができるまで21
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
前九年合戦に突入します。
前九年合戦・エピソード1
青森県東部、銫屋(かなや)、仁土呂志(にとろし)、宇曾利(うそり)三部の住民やその俘囚の長・安倍富忠*1なども巻き込んで戦われ、
天喜五年(1057年)安倍頼時は富忠を味方につけようと説得に向かう最中にけがを負い、鳥海柵*2で亡くなってしまいます。
しかしその後も安倍貞任らを中心に善戦し、
源頼義側は生き残りわずか七騎という大敗も喫しています。
その後も戦いは安倍側優位で進んでいきます。
こうした戦局を立て直すため、源頼義は出羽山北(せんぽく)の清原光頼・武則兄弟に援軍を要請し、
康平五年(1062年)清原氏の加勢を得ることに成功し、形勢は一挙に逆転します。
これ以後、源頼義側が優位に戦いを進め、
安倍宗任*4の籠もる小松柵*5を落とし、最後に厨川柵*6を攻め、安倍貞任、途中から安倍側に帰属した、藤原経清(つねきよ)らを斬首に処し、前九年合戦は終了します。
(参考引用文献/古代史講義【戦乱篇】佐藤信編)
へつづく
大畑町の古代 おおはたまちができるまで01
蝦夷の反乱 よもぎたむらができるまで10