こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

よもぎたむらができるまで22

 

どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

前九年合戦の背景を説明したいと思います。

 

前九年合戦・エピソード2

 源頼義の任終の年の1056年、権守・藤原説貞の子弟が襲われ、

前九年合戦が始まるのですが、

この事件については利権を求めた源頼義が自作自演の陰謀で戦乱に持ち込んだものという説が考えられているようですが、

発端は権守・藤原説貞の子と安倍氏の婚姻を巡るトラブルです。

 

婚姻を通じた安倍氏の勢力拡大策に対する在庁官人層の反発、

あるいは源頼義帰任後、安倍氏が再び強大化することを危惧した権守藤原説貞の反発などから始まったのではないかとも考えられています。

 

当時、様々な勢力が陸奥には出入りしていて、それら勢力は土着して地元の勢力と結びつき、また地元の勢力の方も中央下りの武人や貴族などを婚姻を通じて取り込んでいたようです。

安倍氏のこのような婚姻を通じた勢力拡大策は安倍氏と結びつきの薄い国司や在庁勢力との軋轢を生んでいたと思われます。

 

 

ところで、じゃあなんで、この時代にいろいろな勢力が東北地方に入り込んできたのでしょうか?

 

当時東北地方では、金、馬、昆布、矢羽に使う鷲の羽、熊や海の動物(ラッコなど)の毛皮などの入手が可能でした。

これらは東北で取れるものもあれば、より北方から交易により入手しているものもありました。

こうした富を狙って、当時の東北地方には様々な勢力が入り込み、離合集散を繰り返していたようです。

前九年合戦の背景にはそんな事情がありました。

 

 

安倍氏は、清原氏の助力を得た源頼義側に敗北しました。

その功績により源頼義は伊予守(四国)に任命さらましたが、

肝心の東北地方の鎮守府将軍に任じられたのは、清原武則でした。

 

清原氏は出羽山北三郡と陸奥奥六郡の支配権を手に入れます。

そして、一躍東北の覇者となった清原氏の内紛から

後三年合戦が起きることになります。

 

 (参考引用文献/古代史講義【戦乱篇】佐藤信編)

 

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よもぎたむらができるまで23 - こめいがねんど

 

へつづく

 

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