こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く96

 

f:id:komeikanendo:20200403222125j:plain
どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政十年の記録5です。

 

寛政十年(1798)の記録・其の伍

八月二十日、雨混じりの雪が降った。

孝元天皇推古天皇の時代にも、まれにそんなことがあったらしい。

言うまでもなく飢餓の様相が出ている。

八月下旬にも雪が降り、稗も粟も実が入らず収穫できない。

「呉の牛 月に喘ぎ*1、蜀の犬、日に吠える*2

のたとえの如く、取り越し苦労とは言えなそうだ。

ところで、冬至の後の第三の戌の日を「(ろう)」というが、この日の雪を氷室に入れておくと数十年は溶けないという。

五穀の種や食べ物もこの氷室に貯蔵すると虫がつかないらしい。

 

f:id:komeikanendo:20200506151111j:plain

 

出羽の画家の松峯汾水が、しばらく滞在した。

 

十月十三日、下釜野沢、糸魚淵(いとうぶち)の長石沢から曽古部(そこべ)の山際までが囲木山*3となった。

その札打ちのために山奉行の築田和喜右衛門、植沢孫兵衛、中嶋富右衛門、山役人の山本佐兵衛、佐賀甚兵衛、芦田徳兵衛などと一緒に宿老の私も同行した

山は一面に銀世界、まるで香しい花が咲いたようだった。

一服休みの時、しばし盃を楽しんだ。

寒風がしきりなしに吹いていた。

霰酒(あられざけ)で有名な南都(奈良)ならずも、霰酒を味わっている気分だった。

天明二年から四年(1782~84)にも、豊かなヒノキ山だった鷹巣山や羽色山に同行した。

雪が衣服の中まで吹き込んで、とても寒かった。

糸魚淵に架かった釣り木が一本。

羽色山に同行したのは夏場だったので、その光景はとても涼しく見えた。

 

源さんが行く97 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

 

第四集の最初から読みたい方は

源さんが行く57 - こめいがねんど

 

第五集の最初から読みたい方は

源さんが行く72 - こめいがねんど

 

*1:過度に恐れる

*2:当たり前のことも騒ぎ立てる

*3:かこいぎやま=伐採禁止の山