源さんが行く96
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政十年の記録5です。
寛政十年(1798)の記録・其の伍
八月二十日、雨混じりの雪が降った。
孝元天皇や推古天皇の時代にも、まれにそんなことがあったらしい。
言うまでもなく飢餓の様相が出ている。
八月下旬にも雪が降り、稗も粟も実が入らず収穫できない。
のたとえの如く、取り越し苦労とは言えなそうだ。
ところで、冬至の後の第三の戌の日を「臘(ろう)」というが、この日の雪を氷室に入れておくと数十年は溶けないという。
五穀の種や食べ物もこの氷室に貯蔵すると虫がつかないらしい。
出羽の画家の松峯汾水が、しばらく滞在した。
十月十三日、下釜野沢、糸魚淵(いとうぶち)の長石沢から曽古部(そこべ)の山際までが囲木山*3となった。
その札打ちのために山奉行の築田和喜右衛門、植沢孫兵衛、中嶋富右衛門、山役人の山本佐兵衛、佐賀甚兵衛、芦田徳兵衛などと一緒に宿老の私も同行した。
山は一面に銀世界、まるで香しい花が咲いたようだった。
一服休みの時、しばし盃を楽しんだ。
寒風がしきりなしに吹いていた。
霰酒(あられざけ)で有名な南都(奈良)ならずも、霰酒を味わっている気分だった。
天明二年から四年(1782~84)にも、豊かなヒノキ山だった鷹巣山や羽色山に同行した。
雪が衣服の中まで吹き込んで、とても寒かった。
糸魚淵に架かった釣り木が一本。
羽色山に同行したのは夏場だったので、その光景はとても涼しく見えた。
へつづく
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