こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く94

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政十年の記録3です。

 

寛政十年(1798)の記録・其の参

四月十日、ホウズキよりは小さくソラマメより大きい雹(ひょう)が降った。

ところで、天気には熱気、寒気、温気の三体があり、冬は地気の上昇がはなはだ緩く雲の動きもゆっくりである。

雨はその雲の冷え際に生まれる。

夏は上昇気流が迅速。

雲の動きも狭い範囲で速く、冷え際も深いところにあって、上昇気流はさらに上へ上へと厚くなる。そして上空で急に冷えるため、その変化の中で雹も生まれる。

雹の形に大小があるのは、上空の冷え際の違いや雲の厚さなどにもよるようだ。

雹の中に砂や土が混じることもある。

降雪にも砂や土が混じることがある。

雹の中が空洞になっているものは、そのでき方が急激だったため空気を包んでしまったと考えてよい。

 

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田名部の善宗寺(横迎町)で釣鐘を鋳造。

この寺を開基した新相は慶長四年(1651)に寂*1というから、草創寺を初めて建立は正保の頃(1644~48)だろうか。

秋田の天徳寺の末寺である佐井の長福寺を開山した僧は、寛文五年(1665)に没しているので、開基は承応の頃(1652~55)の頃だろうか。

川内の泉流(龍)寺を開山した僧は、寛文十年(1670)亡くなっている。円通寺六世の弟子というから、開基は寛文元年頃かもしれない。

ところで、釣鐘の龍頭*2の起源は蒲牢(ほろう)獣*3の唸りに似ているからという。

香炉のつまみは煙を好む金貌(きんじし)を、文鎮は(ばく)を模している。的は鵠鳥(こうのとり)が余りに速く飛ぶから射るのが難しいと…。船の舳先(へさき)の(あおさぎ)は風水に耐える意味で、橄欖(かんらん)の木*4で作る梶は魚が浮き上がる効果があるからという。

 

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 へつづく

 

 

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*1:じゃく=死

*2:りゅうず=鐘を吊るすために頭部に設けた龍の頭に似たもの

*3:中国神話の怪物で龍の子である「竜生九子」の一つ、吠えることを好む

*4:熱帯原産の常緑高木。うおのほねぬき