こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村の歴史や文化、たまに趣味のねんど作品を紹介する雑記ブログ

源さんが行く92

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政十年の記録に入ってまいります。

源さんは51歳になりました。

 

寛政十年(1798)の記録・其の壱

去年の冬、新たに上奏された寛政暦の二連の表題には

「天道に従い、事をつまびらかに定めて新しい暦を作った。例により広く配布して諸国民に用いられんことを」

と書かれている。

 

 【寛政暦の採用決まる】

十月十九日に朝廷の改暦宣下(せんげ)を受けた幕府が、明年から新暦を採用すると触れを出した。

江戸時代に作成された暦は、1685年から採用された渋川春海(はるみ)による貞享暦

1755年からの土御門泰邦(つちみかど・やすくに)らによる宝暦(ほうれき)であったが、寛政期に入ると宝暦暦の誤りが次第に明らかとなってきた。

そのため幕府は、前年に西洋暦法を取り入れた改暦を意図し、天文暦学で有名な大坂の麻田剛立(ごうりゅう)の弟子である高橋至時(よしとき)をはじめ幕府天文方の役人に改暦を命じた。

作業は順調に進み一年余りで新暦は完成した。

寛政暦は、中国渡来の暦書を基に西洋暦法を間接的に取り入れた画期的なもので、麻田剛立の二万五千四百年周期で天文常数が変化するという考えも導入された。

この寛政暦は1843年まで四十六年間使用された。

【日本全史】より

 

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■京都の方広寺の木造大仏が焼失した。

 

材木七百石を羽色山と福士(源五右衛門)の植林地、深山、大安寺山から伐り出し、江戸桜田にある南部藩上屋敷(跡地に日比谷公会堂)の用材として送った。

 

五年前から材木五本ずつを江戸行きの廻船に託している。

その儲け分から船の数に関係なく一両二分ずつを湊組頭から大行院だいぎょういん=宮浦家へ納めていたが、今年からは大畑組頭が担当して大行院へ納めることになった。

 

 

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へ つづく

 

 

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