源さんが行く103
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
年が明けて、寛政十一年の最初の記録は、前にも載せましたが、江戸幕府による蝦夷地の直轄支配を決定した様々な書面を源さんがそのまま記録しているので、そのまま載せて、それを意訳された佐藤ミドリ先生の文章で紹介していきたいと思います。
源さんは五十一歳になり、日々宿老として励んでおります。
寛政十一年(1799)の記録・東蝦夷地が幕府直轄地(上知)と決定・其の壱
■松前藩の前藩主が江戸に出府。申し渡された事がらは
「このたび蝦夷地御用掛(がかり)を仰せ付けられ候。
その方の儀 地理(土地の様子)案内の儀 年来心掛け候趣、相聞き得候に付き、先ず在府これ有り候てこれを掛の面々へ諸事相談候よう致さるべく候」
(意訳)この度、幕府は蝦夷地御用掛を設置した。その方は蝦夷地の事情に詳しい。そこで江戸に留まり、御用掛の面々の諸々の相談にあずかるよう命じる。
■安藤対馬守から呼び出された尾見蔵太(松前藩の江戸家老?)が罷り出ると、端山孫大夫をもって
「このたび異国境御取締仰せ付けられ候に付き、東蝦夷島々まで当分御用地に仰せ付けられ候ゆえその趣を存ぜらるべく候。もっとも右の土地よりこれまで年々その方の収納分は御用中公儀より御用替金御下し成るべく候。右の御用、御書院番頭・松平信濃守、御勘定奉行・石川左近将監、御目付・羽太荘左衛門、御使番・大河内善兵衛、御勘定吟味役・三橋藤右衛門、五人の面々 重立仰せ付けられ。右の土地、蝦夷地教育の儀を始め、交易趣法等、万端指し引き、進退仕る旨 仰せ出され候ゆえその意を得られ。右の面々、指図を任せ候よう委細の儀 致され、これを掛の面々より申し談ずべき候ゆえ相達し候条、其の意を得、談ぜらるべく候。
正月十六日」
(意訳)幕府の安藤対馬守から呼び出された松前藩の尾見蔵太に対し、端山孫大夫を通して次のような申し渡しがあった。
―この度、幕府は、異国との国境線の取り締まりを強化するため、東蝦夷地と島々を当分の間、幕府直轄地とするので、その旨を了解せよ。
もっとも右の土地から毎年松前藩に収められていた収益分は、幕府から前金で下される。
また、幕府御用掛として五人の面々を命じたので、松前藩は土地およびアイヌの風俗、教育を始め交易からも手を引き、以後は五人の面々に指図を任せるように。
委細はこれらの面々から提案されるので、その意を理解し、申し出に応ずるようにせよ。
へつづく
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