源さんが行く93
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政十年の記録2です。
寛政十年(1798)の記録・其の弐
間佳瀬(まはぜ=ハゼ?)と呼ばれる赤魚の子の群れが来た。
女形(おやま)の佐野川梅の枝(うめのえ)が興行に来た。
観察力の鋭いある男の所へ
「酒田から参りました」と訪れた者がいた。
その顔を見るや男は
「お前様はどんな芸が得意なのか」と聞く。
「いいえ私は庭師の修行をしながら旅をしている者です」と答え、
この家の息子宛ての紹介状を差し出した。
しかし作業中に、男が見抜いた通り様々な似声(こわいろ)、身振り、手振りが出始めた。
そして、「浮世物真似*1の新八を真似て、やってみましょうか」と埴生斉(はにゅうさい)馬谷*2を語り出した。
「越後の大将・上杉謙信輝虎が西条山から川中島の煙気(もや)のかかり具合を見て
『やをれ*3、武田信玄晴信は明朝、必ずや戦を仕掛けてくるぞ。我らは三軍に分かれてこれを前後から挟み撃ちする。なぜこんな手段に出るのか。戦は神速*4が肝心である。不意打ちは昔から最良の手段だ。』
と自らカブトをつけ剣を腰に、やおら出陣。頃は永禄四年(1561)九月九日午後十時頃、荒ぶる兵一万三千を率いて雨の宮の渉(わた)りを越えて密かに進む。夜陰(やいん)にまぎれて菜箙(だいこん)折敷(おしき)の旗を巻き、馬には枚*5をかませて、川中島の合戦の準備は整った。」
この話に色をつけて姨(おば)と八兵衛の声色による問答。
それがまた面白かった。
へつづく
最初から読み直したい方は
第二集の最初から読みたい方は
第三集の最初から読みたい方は
第四集の最初から読みたい方は
第五集の最初から読みたい方は