こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く93

 

f:id:komeikanendo:20200403222125j:plain
どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政十年の記録2です。

 

寛政十年(1798)の記録・其の弐

間佳瀬(まはぜ=ハゼ?)と呼ばれる赤魚の子の群れが来た。

 

安房(千葉県)から女浄瑠璃が来た。

 

女形(おやま)の佐野川梅の枝(うめのえ)が興行に来た。

 

観察力の鋭いある男の所へ

「酒田から参りました」と訪れた者がいた。

その顔を見るや男は

「お前様はどんな芸が得意なのか」と聞く。

「いいえ私は庭師の修行をしながら旅をしている者です」と答え、

この家の息子宛ての紹介状を差し出した。

しかし作業中に、男が見抜いた通り様々な似声(こわいろ)、身振り、手振りが出始めた。

そして、「浮世物真似*1の新八を真似て、やってみましょうか」と埴生斉(はにゅうさい)馬谷*2を語り出した。

 

「越後の大将・上杉謙信輝虎が西条山から川中島の煙気(もや)のかかり具合を見て

『やをれ*3武田信玄晴信は明朝、必ずや戦を仕掛けてくるぞ。我らは三軍に分かれてこれを前後から挟み撃ちする。なぜこんな手段に出るのか。戦は神速*4が肝心である。不意打ちは昔から最良の手段だ。』

と自らカブトをつけ剣を腰に、やおら出陣。頃は永禄四年(1561)九月九日午後十時頃、荒ぶる兵一万三千を率いて雨の宮の渉(わた)りを越えて密かに進む。夜陰(やいん)にまぎれて菜箙(だいこん)折敷(おしき)の旗を巻き、馬には枚*5をかませて、川中島の合戦の準備は整った。」

 

この話に色をつけて姨(おば)と八兵衛の声色による問答。

それがまた面白かった。

f:id:komeikanendo:20200423221243j:plain

 

源さんが行く94 - こめいがねんど

 へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

 

第四集の最初から読みたい方は

源さんが行く57 - こめいがねんど

 

第五集の最初から読みたい方は

源さんが行く72 - こめいがねんど

 

*1:うきよものまね=鳥獣、役者らの身振り、声色を真似る芸

*2:講談師の名前?

*3:やいお前たち。呼びかけの語

*4:しんそく=非常に速いこと

*5:ばい=声を立てないように口にくわえさせ、ヒモで首に結びつける箸状のもの