こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

よもぎたむらができるまで16

 

どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

前々回まで蝦夷(えみし)の反乱を紹介してきましたが、

ここでもう一度、エミシをおさらいしておきたいと思います。

 

蝦夷(えみし)とは、本州東部とそれ以北に居住し、大和朝廷支配下につくのを拒否した集団を指します。

 

その東夷の中に、蝦夷(えみし)はこれもっとも強し。

男女交り居りて、父子別(わきため)無し。

冬は穴に宿(い)ね、夏は樔(す)に住む。

毛を衣(き)、血を飲み、昆弟相疑ふ。

山に登ること飛ぶ鳥の如く、

草を行くこと走る獣の如し。

恩を承けては忘れ、

怨みを見ては必ず報ゆ。

是を以て、

箭(や)を頭髷(たきふさ)に蔵(かく)し、

刀を衣の中に佩(は)く。

或いは党類を聚(あつ)めて辺界を犯し、

或いは農桑を伺ひて人民を略(かす)む。

撃てば草に隠れ、

追へば山に入る。

故(かれ)、

往古(いにしえ)より以来(このかた)、

未だ王化に染(したが)わず。

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エミシ、食す


 

 

 これは景行天皇が、反乱を起した蝦夷の平定に向かう息子の日本武尊(やまとたけるのみこと)に語ったとされる有名な言葉だそうです。日本書紀:720年】

 

この文章に出てくる蝦夷の衣食住などの習俗は、実態とはみなしがたいし、

日本武尊自体も伝説上の人物であり、

つまりは蝦夷征討を開始した奈良時代初めの律令国家が、

蝦夷を軍事力で制圧することの正当性を表した文章であると

蝦夷と東北戦争」の冒頭で鈴木拓也氏は言っています。

 

国家が主張する蝦夷像は、政治的な意図によって著しくゆがめられたものであり、

征夷の動機も国家の支配領域を拡大することである。

とも鈴木氏は続けて語っています。

 

基本的に日本書紀続日本紀古事記日本後紀などの歴史書は国家が編集した、

国家側中心の書物です。そこに蝦夷側の意見など出てきません

一方的です。

 

でも昔は、書物がそれほどないですから、

国が書いた書物だとなれば、

誰だって100%信じてしまうのは当然です。

 

そして、僕たちはそれを教科書であたりまえに習います。

あたりまえにテストに問題として出てきます。

もちろん答えもあるわけです。

 

国家側の主張を書けば正解で、

蝦夷側の主張を書けば不正解です。

 

 

僕から言わせれば、

昔の歴史書なんて今で言うところの文春にしか思えません。

なんだったら、学校で習う歴史はすべて歪んでいるとさえ思ってしまいます。

 

例えば第二次世界大戦が始まろうとしているとき、

蓬田村の村民の何人かは生活のため、

出稼ぎで北海道にニシン漁に行こうとしていたことなど、絶対出てきません。

 

学校で習う歴史は、あくまでも国家中心のわがままな行為の積み重ねを

覚えさせられているだけのような気がします。

 

 そもそも蝦夷なんて言葉は、朝廷側が考えた言葉であって、

東北の人たちにしてみたら、

「ハァ?蝦夷って何だよ。」

なわけです。

 

あ~なんか腹立ってきた。

 

次回はもうちょっと蝦夷関連をつづけて

俘囚について説明します。

よもぎたむらができるまで17

 

 

蓬田村の古代 よもぎたむらができるまで01

大畑町の古代 おおはたまちができるまで01

アイヌルーツ よもぎたむらができるまで04

蝦夷の反乱  よもぎたむらができるまで10