源さんが行く51
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どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
寛政四年の記録・ラクスマンの来航編に入ります。
寛政四年(1792年)の記録・ラクスマンの来航その壱
伊勢白子*1の逸見彦兵衛の持ち船の神昌丸の船頭・大黒屋光太夫(こうだゆう)がこの船に乗っていた。
天明二年(1782)、神昌丸は紀州から米を積んで江戸へ出航した。
この時、船には小役人の作十郎をはじめ十七人が乗り込んでいた。
しかし、駿河灘の辺りから漂流し、翌年七月二十日、アムトチカ島*2に漂着した。
それから四年後の七月十八日にこの島を出発して海路千四百里、天明七年(1787)八月二十三日に家数八十軒のカムチャツカの湊に入った。
翌年六月十五日、再び出発し、山川を三百七十里さかのぼり、
七月一日に千岐里(チギリスク)に着き、
八月一日にまた出航。
海路八百里。
八月三十日に県庁所在地のあるオホーツクの湊に至った。
九月二十日にそこを出発して、陸路一千十三里、
十一月九日に県庁所在地イルクーツクに到着。
一月十五日、再び出発して陸路(急峻な山岳と平地)を五千百二十三里経て、
二月十九日にペテルスブルクに着いた。
そこは、北緯六十四度にあるロシアの都である。
へつづく
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