こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く51

【産地直送】海峡サーモン 洋風セット【冷凍】【送料込み】【RCP】

価格:4,400円
(2019/12/17 21:47時点)
感想(0件)

 

 

 

f:id:komeikanendo:20191116234139j:plain



どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政四年の記録・ラクスマンの来航編に入ります。

 

寛政四年(1792年)の記録・ラクスマンの来航その壱 

蝦夷根室にロシア船が入船した。

伊勢白子*1の逸見彦兵衛の持ち船の神昌丸の船頭・大黒屋光太夫(こうだゆう)がこの船に乗っていた。

 

天明二年(1782)、神昌丸は紀州から米を積んで江戸へ出航した。

この時、船には小役人の作十郎をはじめ十七人が乗り込んでいた。

しかし、駿河灘の辺りから漂流し、翌年七月二十日、アムトチカ島*2に漂着した。

 

それから四年後の七月十八日にこの島を出発して海路千四百里天明七年(1787)八月二十三日に家数八十軒のカムチャツカの湊に入った。

 

翌年六月十五日、再び出発し、山川を三百七十里さかのぼり、

七月一日に千岐里(チギリスク)に着き、

八月一日にまた出航。

海路八百里

八月三十日に県庁所在地のあるオホーツクの湊に至った。

九月二十日にそこを出発して、陸路一千十三里、

十一月九日に県庁所在地イルクーツクに到着。

一月十五日、再び出発して陸路(急峻な山岳と平地)を五千百二十三里経て、

二月十九日にペテルスブルクに着いた。

そこは、北緯六十四度にあるロシアの都である。

f:id:komeikanendo:20191217222803j:plain


 

源さんが行く52 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

*1:いせしろこ=三重県北部、鈴鹿市、伊勢湾にのぞみ伊勢神宮参宮街道に沿う

*2:アリューシャン列島のひとつ