こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く52

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政四年の記録・ラクスマンの来航編、漂流した大黒屋光太夫たちはロシアに着きます。

 

寛政四年(1792年)の記録・ラクスマンの来航その弐

何日かして、エカテリーナ女帝*1に謁見し、勲章をいただいた。

その片面にはこの国の祖、ミハイル・ロマノフ帝の乗馬姿の像があり、もう片面にはエカテリーナ女帝の姿が黄金色に浮き彫りにされていた。

これを首にかけると、どこへ行っても周りの人々に丁重に扱われる。

 

ペテスブルグの城壁はレンガの土蔵造りか石積みで二重三重に、または五重六重に築かれていた。

木々を植え、池を作り、花園のある豪華な屋敷が建ち並び、見事な町並みであった。

城の中の仕掛け時計は、水車のように大きかった。

昔、焼け落ちたとされている大鐘が街の郊外に埋もれていたが、その大きさは言葉に言い表せないものだった。

日本の四貫五百目を一貫目と換算して五百貫(約八㌧)はあったそうだ。

また、宝物館に吊るしてあった磁石の四隅には百貫目(四百㌔弱)程のイカリが突然下りてきて、つまみを戻すとそれが上がってきて、元通りに吸いつく。

 

大砲というものも見た。

その砲口に立ち、仰ぎ見ながら腕をのばしても届かない。

全体の高さは三間(五、六㍍)もあろうか。

 

その後、徐々に帰国を願い出たのだが、かなわず十七人のうちの十二人が次々に死去した。

 

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源さんが行く53 - こめいがねんど

へつづく

 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

*1:二世。ピョートル三世の后。1762年、夫を倒して即位。国勢の伸長に努めて領土を広げ、また、フランス文化の影響を受け学芸を奨励。大帝と呼ばれる。1729~1796