こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く20

 

f:id:komeikanendo:20190913232457j:plain

どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政元年(1789年)の記録・其の壱

村林源助 42歳・宿老

田中(たのなか)観音の杉の切株は、すでに百五、六十年は経っているだろうか?

非常に良い香りがするので、明和の頃から香の趣味のある人に重宝がられた。

しかし、風雨にさらされ、朽ちるべき時が来たということだろうか。

最近になって香りはほとんどなくなった。

香りと言えば、

ベトナムチャンパ王国から伝えられた伽羅(キャラ)の香木はほんのかすかな辛みのものを最上とし、白っぽくて甘い香りの者は最上とは言わない。

とりわけ名香と言われるものには、赤栴檀*1、黄塾香*2、白露、初音、鸚鵡オウム、柴船などがある。

東大寺正倉院蘭奢待*3は重さ三貫六百五拾匁、

大紅塵*4の重さは四貫六百五拾匁。

建武元年(1334年)、文亀三年(1503年)、慶長七年(1602年・徳川家康)、一寸八分ずつ切って三将軍に献上されている。  

 

f:id:komeikanendo:20190923143304j:plain

■一万石につき百五十石ずつの囲み籾(もみ)を七ヶ年行うようにと幕府から各国々へ義務付ける。

 

ヒエ五斗入り二百俵を八幡宮の義倉に貯蔵した。

 

白藻しらも=食用、寒天の材料が大坂から伝わった。

ノッコロの磯で探してみたが、この辺りには生えてないようだ。

 

古注*5詩経易経礼記(らいき)、左氏春秋、論語、微集覧の六つの書を八幡宮に納めた。

 

江戸で川浚*6が行われた。

 

赤川の里に火事があり、正粟十五カマスと銭三十貫が救援された。

 

凶作年度の潰れ家二十五軒の百二十七坪の小間*7は、

一坪あたり 二銭ずつを徴収。

 

  以上が、寛政元年の、本州で起きた源さんの記述です。

 

次回、そのまま進めば、

クナシリ・メナシの戦いの記述に入るのですが、

その前に

安永七年(1778年)にあった、

ロシア人渡来とツキノエの記事を、

佐藤ミドリ先生訳の

原始謾筆風土年表・資料編から紹介したいと思います。

 

ここを押さえておけば、

もっとクナシリ・メナシの戦いがわかりやすくなるのではないかな。

と僕が勝手に思っただけですが…。

 

そういうわけで、次回から

ちょっと時代を戻しまして

ロシア人渡来事件を何回かにわたって紹介していきたいと思います。

 

 

源さんが行く21 - こめいがねんど

 へつづく

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:せんだん=ビャクダン

*2:おうじゅくこう=極上の伽羅

*3:らんじゃたい=香木

*4:こうじん=正倉院宝物の香木。蘭奢待と並び称される名香

*5:こちゅう=中国では宋学経書の解釈に対し、漢・唐時代の訓詁学による注釈。日本では近代以前の注釈または国学成立以前の注釈

*6:かわざらい=川の清掃

*7:こま=屋敷の広さに応じて課税