こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く19

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

天明八年(1788年)の記録・其の弐

 

七月三日、一㍍間隔で日と月が並んだ。

昔からこれを三光と呼んでいる。

ところで、長禄二年(1458年)閏正月二日に満月が出たといい、

天延三年(975年)八月二十四日申*1の方角に満月が出たというが、

いったいこれはどういうことだろう。

漢の元平元年二月、大きな星が月のように見え、

河平二年十月にも月のように大きい星が出たという。

 

スルメ買い入れの請負が始まったが、文化二年には終わった。

ある人が、スルメをアワビにまねて熨斗(のし)スルメにしてみたが、

うまくいかなかった。

 

十月二十三日、高水。

 

十月下旬、空は穏やかだったのに、二寸ほどもある綿雪が降ってきた。

けだし冬の季節の地気上昇の力が緩く、雲の動きがきわめて遅かった。

雨は、雲の冷えぎわで変化すると言うので、その結果らしい。

 

山々の樹木伐採時の杣税も、船の間尺税も藩の許可制である。

伐採の礼金はどんどん高くなっている。

当面の凶作にそなえなければないが、

間尺の入札の制度はあるものの、

実際はないに等しい。

天明の凶作以来の慣例である。

 

大安寺門前に住む由松と湊の第八、鴉沢の佐右衛門の三人が連れ立って

(出稼ぎ先の)松前から戻ってきた。

 大雨にもかかわらず、一刻も早くと先を急いだ。

 

ところで、猫は春先の二月に生まれるらしいが、

安永の頃に頭の二つある子猫を生み、

今年は六本足の子猫も生まれている。

 

桑畑の里まで来た頃、由松の姿が見えなくなってしまった。

雨でびしょ濡れになりながら、二人はなんとか家に戻ってきたものの、

由松は何日経っても帰って来なかった。

 それで、

一緒に来た二人がグルになって殺したに違いないと、

妻のよしが訴え出した。

しかし、由松は誤って桑畑川で溺れ死んだということで処理された。

 

ところで、戯画化された猫の五つの徳とは、

一、ネズミを見つけてもつかまえないのが

二、ネズミが来て食べ物を奪う時は譲るのが

三、客人が来てごちそうする時に姿を現すのが

四、食べ物をかくしても盗み食いするのが

五、冬が来ればカマドの上で丸くなるのはである。

 

 行方不明事件に、なぜ猫の話題が挿入されるのか疑問に思った佐藤ミドリ先生は

「下北文化誌」海難死者儀礼という文章のなかにヒントを見つけました。

 

三毛猫を船に乗せて行き沖で判断する方法

 「三毛猫はなかなかいない。

昔の船乗りは、今日のように磁石の代わりに三毛猫を船に乗せた。

猫は船中では、不思議な現象を見せる。

いつも北向きになることである。

そのため、霧やシケで見通しが悪いような気象条件の中でも、

三毛猫の向きで船の進路がわかり、

目的地まで無事に航海することができたという伝承がある。

三毛猫は、船乗りにとって貴重な存在で、

特に高価であった。

しかし、雄猫はなかなか手に入らないため、

雌猫でもキバスッコイ*2という性質があり、

 物事に敏感に反応する徳性を利用し、

海難死者の捜索に船に乗せて行く。

沖合で海中に死体があると啼き、溺死者を発見したのである。」

(川内町・川村トサさん談)

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捜索中


 

 

 すごいな三毛猫!

そう言えば、蓬田の死んだオオばあちゃんも

「三毛猫は宝物だ。」

と言ってたなぁ。

 

 

寛政元年の記録

源さんが行く20 - こめいがねんど

 

へつづく

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:さる=西から南へ三十度

*2:よく気がつき利口