こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く18

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

天明八年(1788年)の記録・其の壱

村林源助 41歳・宿老

フノリの買い入れが請負になる。

 

観世嘔(うた)拍子の津軽の椙野(すぎの)十右衛門がしばらく滞在した。

 

四月十一日に地震

 

 大蔵坊が、自分の房守*1を殺害して逐電*2した。

 

仙台雇船の上乗り*3田名部五郎八が、大畑沖においてノイローゼになり、水夫*4を傷つけてしまった。

五郎八には漢方の南天*5、半夏*6、黄連*7、撚符金、枯礬*8、朱砂*9を投与して、正常に戻った。

 

幕府巡見使 正使の藤沢要人(かなめ) 、副使の川口久助、三枝十兵衛が、

小田野沢に来たため、昼食準備に大畑から出向いた。

 

『古川古松軒(ふるかわこしょうけん)、巡見使に随行北日本を踏査』

 地理学者の古川古松軒(64歳)が、幕府巡見使の副使・三枝十兵衛(40歳)に随行して、奥羽、蝦夷地を巡り、その見聞をもとに「東遊雑紀」(十巻)を著しました。

 古川古松軒 は、若くして蘭方医師に志し、長崎で蘭書を研究、また測量術を学びました。

備中(岡山県)の岡田村に住み、1783年3月から9月に単独で九州地方を旅行し、

紀行文「西遊雑紀」七巻を著しています。

実証性に富んだ同書の評判は高かったようです。

今回、将軍代替わりの慣例である諸国巡見使の派遣が予想されたので、

またとないチャンスといち早く江戸に出て、随行を願い出ていました。 

一行は、正使・藤沢要人、副使・川口久助、三枝十兵衛、および従者百七人と多数の人足からなる大キャラバン隊でした。

国土の隅々まで巡見するという目的から、会津南山地方の山村まで足をのばし、

人踏まれな下北の海岸を巡り歩くなど、かなりの強行軍だったようです。

「日本全史」より

 

 ここにもまた、菅江真澄と似たような旅人、

古川古松軒という人が出てきました。

この時代の人たちは、ある意味、

ブロガーの先駆者のような人ばかりだったんですね。

未開の地を捜し歩いて、書物で紹介する。

みたいな…。

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もしも二人が出会っていたら


 

 

天明八年の記録・其の弐

源さんが行く19 - こめいがねんど

 へつづく

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

*1:ぼうもり=配偶者

*2:ちくでん=逃亡

*3:うわのり=江戸時代、航海中、積み荷と共に船に乗って荷主のためにそれを管理し、かつ荷主から取引の委任を受けた人

*4:かこ=船乗り

*5:なんてんしょう=マムシ草の根茎を輪切りにして干した生薬

*6:はんげ=カラスビシャクの根茎の外皮を除いて水洗いして乾燥したもの

*7:おうれん=キンポウゲ科多年草。その根を干したものは健胃薬

*8:こばん=焼きミョウバン

*9:すき=水銀と硫黄の化合物