こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く85

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

寛政九年の記録に戻ります。

 

寛政九年(1797)の記録・其の弐

盛岡の画工・玉流が、しばらくの間、滞在した。

 

自称瑞屠流の書家という若松の多聞源鶴が、やって来た。

文化二年(1805)にも再びやって来たが、その時は能呑鬼(のどんき)と名乗っていた。 

 

二月二十二日、春分の頃だったか。

午後三時ごろ、朦朧とした大気中に太陽のようなものが六つも見えた。

その一つはかすかに光を帯び、やや白みがかった虹色に見えるものもあった。

申の上刻(午前三時から四時ごろ)に北へ向かって二筋の白い虹がかかり、徐々に南の方に移って虹も消えてしまった…。

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■イギリス船なのだろうか、それともロシア船なのだろうか。

たくさんの帆を張った異国船が一艘、尻屋の海の方から来るのが見えた。

大畑から八㌔ほど沖を通り過ぎるのを望遠鏡で覗き見た。

その後、大間の茎門島(桑畑のエノコロ島)の和布(わかめ)の瀬に繋留(けいりゅう)しているところへ、土地の漁師の一人が手ぬぐいに米を包んで投げ込んだ。

すると、彼らは銅銭六枚をくれたという。

翌朝には松前城に近いところまで航行していった。

松前の陸地からは大砲でねらい海岸線にはイクサ船が配置され、物々しい中をはるか彼方、、津軽、秋田、日本海の方向へ漕ぎ去って行ったらしい。

 

次回は、このイギリス船の二回目の来航について、原始謾筆風土年表・資料編から、もうちょっと詳しく紹介してみたいと思います。

 

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へつづく

 

 

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